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映画「スリー・ビルボード」あらすじ感想・実は○○な映画だった

NITARI
NITARI
今日は2017年の映画「スリー・ビルボード」を紹介するよ
虫
かなり暗そうな映画かなと思ったけど、どうだったんだい?

映画「スリー・ビルボード」あらすじ

出演者

  • ミルドレッド・ヘイズ – フランシス・マクドーマンド
  • ビル・ウィロビー署長 – ウディ・ハレルソン
  • ジェイソン・ディクソン巡査 – サム・ロックウェル
  • レッド・ウェルビー – ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
  • ロビー・ヘイズ – ルーカス・ヘッジズ

主人公ミルドレッドは家の近くの大看板にある広告を打ち出そうと、広告主の元を訪れる。前金を払い張り出した3枚の広告には、

「娘はレイプされて焼き殺された」
「未だに犯人が捕まらない」
「どうして、ウィロビー署長?」

との文字が。

実はその7カ月前に、ミルドレッドの娘アンジェラがレイプされた後に焼き殺されるという凄惨な事件が起きていた。
ミルドレッドは未だに怒りを抑えることができず、その怒りを町の警察にぶつけていたのだった。

町の警察のウィロビー署長は同僚や街の住民達から愛されてきた人格者だったが、彼は末期癌を患っていた。そのような事情がありながらこのような広告を打ち出したことに、住民たちは強く反発を見せる。

とりわけウィロビー署長を慕っている警察官のディクソンの怒りは強かった。レイシストである彼は問題のある警察官で、黒人や自分に不利益を与える人物をたびたび強く取り締まっていた。

広告が理由でミルドレッドや息子のロビーは嫌がらせを受けるようになる。息子はそもそも今回の母の行動には反発していたが、ミルドレッドは息子や元夫の意見にも全く耳を貸さずに自分の行動をつき進めるのだった。

映画「スリー・ビルボード」の感想

このような映画に出会うために、私は映画を観続けているのだ、と高らかに声を上げたくなるほどに素晴らしい映画でした。

この映画は本当にあらゆる人に見てもらいたい傑作です。
何が他の映画と違うのかを順を追って解説していきたいと思います。

※ネタバレありです。

映画「スリー・ビルボード」の脚本とキャラクター

このような素晴らしい映画の場合、映像、脚本、演技、演出など様々な要素を分解して分析することは非常に難しいのですが、敢えてそれをしてみようと思います。

まず、それらの要素の中で最も素晴らしいと思ったのは、なんといっても脚本です。
この映画には主な登場人物が3人出てきます。

ひとりはもちろん主人公のミルドレッド。そしてウィロビー警察署長。そして非常に重要な、レイシストであるディクソンです。

今までにも、レイプ被害者から警察や行政機関を訴えるような社会派作品は多く見られてきました。
特に、今回の映画でも描かれたように地方(特に南部)だと黒人やメキシコ人に対する人種差別が横行していたり、小さな都市だと警察官の権力があまりにも強くて事実上の独裁のような感じになってしまう事があるというのは、アメリカの問題として何度も取りざたされてきました。

この映画も、最初にミルドレッドの広告を見た時にはもちろん「ああ、これは横暴な警察官と善良な一市民との争いの話なのだな」と予想しました。

実際、最重要といってもいいくらい重要な人物であるディクソンはやはりそのようなキャラクターとして描かれてはいますが、この映画が他の映画と最も違う方向に進んだのは、やはりミルドレッドが訴えた警察官が非常に善良で誰からも慕われていたという事。

おそらくミルドレッド自身も彼の事をよく知っているし、多分もともとはそれなりに敬意を表しあう仲だったという様子はうかがえます。

この映画は一見今までにも描かれてきたようなモチーフを扱っているのにも関わらず、キャラクターひとりひとりを見た時に、実は一度も描かれてこなかった人物として描かれているんですよね。

主人公ミルドレッドの魅力

主人公のミルドレッドも、従来の映画であればここは娘の失った失意の母なので、誰もが同情するべき人物のはずです。
しかしながら、実際はこの映画を観ている限り、どんどん同情や共感から離れて行ってしまうわけです。トンデモ母なんですよね、この人は完全に。

ミルドレッドの描写で面白いのは、彼女が怒りに任せて周りに暴力をふるい始めるところです。

警察署に放火するシーンは最も顕著ですが、私が割と重要だなと思ったのは、車で息子を学校に送るシーン。
缶を投げつけられて怒ったミルドレッドは、投げてよこした学生を殴りつけるわけです。しかも、実際彼らが缶を投げつけたかどうかは分からない。分からないのに人の話を聞かずにボコボコと殴ってゆくわけです。

これはもう完全に暴力主義。本来だったら完全にアウトです。

NITARI
NITARI
もはや、ただただヤバい人だったよね。
虫
やっている事完全に理不尽だったもんね。

普通だったら「レイプして殺された娘の母親」としてバリバリ同情を買えるところを、トンデモ母すぎて全然共感も同情もできない。こんな母親が描かれたことがあるでしょうか?

癌に侵されたウィロビー署長とレイシスト・ディクソン

この映画で最もまともな人物として描かれていたのがウィロビー署長です。この人は癌に侵されながらもしっかりと警察官としての役割を果たそうとしています。

正直言ってこの映画の中ではウィロビー署長の印象は途中まで薄いです。よくいる「いい人」って感じなんですよね。

しかしながら、途中で自殺してしまう。これは本当に驚きでした。まさかここで自殺するとは思わなかった。

そして自殺してからが彼の真骨頂。
彼が残した手紙がとにかくインパクト大なんですよね。

特に、実はお金の無くなったミルドレッドに広告代を寄付したのが、実は署長本人だったという事実

そもそも、あの場面で自殺をするという決断自体が、ただの「いい人」としての行動から大きく外れていたよね。ミルドレッドにお金を寄付したユーモアから言って、やはりただモノではなかったのですね。

それからレイシストであるディクソンですが、もうこの人がこの映画のすばらしさを100%から200%に引き伸ばしたといっても過言ではありません。

この人が素晴らしい事(人としてではなくて役としてね)に関しては、いちいち言及すべき事でもないと思いますので割愛します。

NITARI
NITARI
私としては、入院した時に包帯の間から見たオレンジジュース。これで涙腺崩壊です。

以上のように、とにかく今までに描かれてこなかったようなキャラクターによって紡がれたのが本作です。

映画「スリー・ビルボード」に描かれた憎しみの連鎖

素晴らしいなと思うのは、今まで描かれてこなかったトンデモない人たちの騒動なんですけど、彼らの行動に理解できない部分など一つもない事です。

彼らの行動全てが、共感できなかったり同情できないにせよ誰にでも理解できるという点が素晴らしいのです。

この映画で描かれているのは、人間の醜さと恐ろしさ。そして暴力と憎しみの連鎖です。

登場人物たちは憎しみに憎しみを重ねてどんどん行動を大きくしていってしまいます。
ミルドレッドが警察署に放火をする理由など全くないのです。完全に理不尽です。

署長の自殺を恨み、暴力に走ってしまうディクソンにも同じことが言えます。
元々は少女をレイプして殺した犯人だけが憎しみの対象であるはずなのに、行き場のない怒りがこのような断ち切れない負の連鎖となってしまうんですよね。

しかし、実はこの映画は見終わった後に、人間の醜さなどみじんも残らない、心が清々しく温まる余韻に満たされるんです。

人間の醜い部分だけをこれほどまでに浮き彫りにしつくしていった結果、残ったのは人間への愛おしさなんですよ。

こんな映画が今まであったでしょうか?

これほどまでに全てのキャラクターに感情移入して観た作品は本当に久々で、一つの映画を観ただけでいくつもの人生を生きたような錯覚すら覚えました。

映画「スリー・ビルボード」のブラック・ユーモア

多分それは、監督自身が人間の闇を熟知しながらも愛があるからだと確信しています。

何故なら、この映画はストーリーだけ見ると絶望以外に見出せるものがなさそうな感じなのに、実はコメディだからです。

こんなに暗くて重い作品なのに、本当に滑稽で笑えるんですよね。

主人公のミルドレッドの行動もそうだし、ミルドレッドの家族(元夫を含む)も愉快。もちろん警察官のディクソンと彼の母の会話なんか笑わずには観ていられないレベルです。

私は全ての映画に必ずユーモアかホラーが必要だといっていますが、どちらの要素も生かせる作品は正直そうはありません(どっちかだけで充分なんですよね)。

しかしこの映画には人間の闇や恐怖をモチーフにしながら、「繋ぎ」としてユーモアを用いている。これははっきり言って驚きとしか言いようがありませんね。

ディクソンが入院先でやっつけた広告会社のレッドに出会ってしまうシーンもユーモアたっぷりに描いていますが、あまりにも素晴らしくて泣けますし。

このシーンは本当にすごい。包帯を巻かれたディクソンの目線で描かれていて、しかも音楽も結構不穏な感じなんですよ。ディクソンが、「復讐されるかもしれない」と不安に思っているような描写ですよね。

しかし、レッドがオレンジジュースを持ってくる。それだけでも泣けるんですけど、ストローをね、ちゃんとディクソンのほうに向けてあげるんですよ。

NITARI
NITARI
マジで泣けた。

皆で広告を貼り直すシーンも本当に素晴らしいですよね。「署長死んだけど署長の名前でいいの?」との発言の後の「だって出資者じゃん」っていうセリフなんか鳥肌。

そしてラスト。
自分が痛めつけたレイシストの元警官と共に、全く関係のないレイプ犯を殺しに行こうと出かける。そこでの、「あんまり気が進まないよね。行く道すがらどうするか考えよう」というラスト。

私が求める映画っていうのは、こういう事なんですよ!!!!

映画「スリー・ビルボード」の美術

内容のすばらしさを語っていましたが、その上この映画があまりにも素晴らしいものになった大きな理由としてあげたいのが、「広告」のかっこよさ、美しさです。

大きな3つの広告の赤ベースに黒字で文字だけ書かれている。
この視覚的インパクトもただ事ではないと思います。

ただ単にこの映画が普通に素晴らしい映画よりも圧倒的に素晴らしいものになったのは、この「広告」によってでしょう。

映画にとってこれだけ象徴的なアイコンがあることは素晴らしい事だと思います。
ひとりの人物が広告を打ち出しただけでこれだけの人物模様を描けるなんて、私は本当に驚きでしかありません。

まとめ

この映画を撮ったマーティン・マクドナー監督はイギリス&アイルランドの劇作家だそうです。
この映画の視覚的な美意識は確かにアメリカ映画のものとは少し違うかなと思ったのですがそういう事でした。

そして、たった一つの要素(広告)から狭い空間(小さな町)でうごめく人間模様。その見事な脚本は確かに演劇の要素に少し近いのかもしれません。

いずれにしても圧巻です。
全ての人におすすめしたい作品だと思います。

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