どうもこんにちは、NITARIです。

私の愛するデヴィッド・フィンチャー監督作「セブン」のレビューを書きます。

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映画「セブン」のあらすじ

映画「セブン」は1995年ブラッド・ピット主演の映画です。

キャスト
  • デビッド・ミルズ刑事 – ブラッド・ピット
  • ウィリアム・サマセット刑事 – モーガン・フリーマン 
  • トレイシー・ミルズ – グウィネス・パルトロー 
  • ジョン・ドゥ – ケヴィン・スペイシー

ミルズは新人警部として、退職まであと一週間に迫るベテラン警部のサマセットとバディーを組んでいた。

2人が訪れた殺人現場は凄惨なものだった。見たこともないような巨漢の男が大量のスパゲティの中に頭を突っ込んで死んでいたのだ。

男は手足を縛られて銃で脅され、気絶するまで食べさせられた挙句に腹部を殴打されたことで内臓破裂で死んだのであった。

そして現場には、「GLUTTONY(暴食)」と、事件の継続を思わせるメッセージが残されていた。

あとわずかで定年退職となるサマセットにとっては大きすぎる事件だと、彼は上司に担当の変更を要請するが受理されない。その代わり、新人であるミルズが主な担当として事件を捜査することになった。

そして事件は続いてゆく。

2人目の被害者は、弁護士としてかなり稼ぎのあるグールド。
彼は自分のオフィスで、腹部の肉を丁度1ポンド切り取られて死んでいた。

残されたキーワードは「GREED(強欲)」

サマセットは、犯人がこの事件を「七つの大罪」をモチーフに続けているのだと確信するのだった。

映画「セブン」のネタバレ解説

この映画の感想を書く前に、とりあえずまずはこの映画のモチーフになっている「七つの大罪」について解説していこうと思います。

「七つの大罪」とは?

「七つの大罪」は、主にカトリックの教会で用いられる宗教的な言葉です。

現在は「七つ」が罪そのもののように解釈されることも多いですが、実際は「七つの罪源」と言われることもあり、つまり「大きな罪はこの感情から生まれる」というようなもののようですね。

煩悩のようなものなのかな、と私自身は思っています。
煩悩によって引き起きされる罪、みたいなもんかな。

「七つの大罪」と映画「セブン」の殺人の対比

「七つの大罪」にどんなものがあるのかと、映画ではどのように殺人が行われたのかを時系列順に書いていこうと思います。

※最後のオチまでネタバレしますので、未見の方はご注意ください。

貪食 gluttony

肥満の男を脅し、食べ物を与え続けて気絶させ、腹部を蹴って内臓破裂させる。

物欲(貪欲) greed

被害者に2日の及び、どこの肉を切るのかを選ばせて腹の肉を切りとり、死に至らしめる。

怠惰 sloth

被害者を1年間に渡りベッドの縛り付けて衰弱させる(死に至らず)。

色欲(肉欲) lust

男を脅してペニスにナイフを仕込み、セックスをさせて死に至らしめる。

高慢 pride

美しいモデルの鼻を切り取り、睡眠薬による自殺を教唆。

ねたみ(嫉妬) envy

幸せな生活を送るミルズ警部への嫉妬から、妻を惨殺。ミルズに自分を射殺させる。

怒り wrath

怒りに身を任せてミルズを射殺したことで、死刑になる?(情状酌量の余地あり)。

映画「セブン」の感想

最初に書きましたが、私はかなりデヴィット・フィンチャー監督が好きですべての作品を見ています。

もちろん「セブン」も以前に何度も観ていて好きな映画でした。
今回、レビューを書くにあたって改めて見て感想がちょっと変わりました。

映画「セブン」のテーマやモチーフ

正直、思ったより面白くはなかったです。
何度か見てた時にはかなり面白かった記憶があるんだけど、今回はそうでもなくて、寝落ちしました(笑)。

それは、オチが分かってしまうと面白くないっていう事もあるのかもしれませんが、全体的に内容がなくて薄っぺらいのに、いかにも哲学的&主教的なテーマを孕んでいるかのように描かれている感じがイマイチだった、というのが大きいです。

内容が無いんですよねー。

そもそも、この犯人が「七つの大罪」をモチーフに殺人を進める意図が良く分からない。
一応ね、その辺に言い訳を付けるために、「今の社会」に対する漠然とした疑問符のようなものを描いてはいるんです。

サマセットが感じている虚無感のようなものですよね。
サマセットが仕事を辞めるという事に対して、ミルズとバーで話をするシーンなどありますが、実はこのシーンをはじめとして映画全体にちりばめられている、「社会への疑問」というのが、一つにはこの犯罪の起こった理由のように描こうとはしています。

しかしながら実際は、「世の中にはびこる漠然とした不安」や「社会への疑問」がこの犯罪と関わっているようには思えません。全然理由になっていないんです。

というのは、この映画がそもそも「猟奇殺人」と、「最悪のオチ」を描きたかったからにほかなりません。

そもそも脚本家はこの映画の「最悪のオチ」から思いついて、それに絡めるように「連続猟奇殺人事件」を作り上げた。

そして、事件の背景として「不安定な社会」を、ある種の言い訳というか後付けとして描いただけなので、映画全体を見た時に全然内容が無い感じになってしまったんだと思います。

そもそも、「連続猟奇殺人事件」のプロットを描きたい一心で構成してしまったからこういうことになるんですよねー。

こういうことは面白いプロットありきの作品にありがちなことです。
メメント」のレビューにも書きましたけど、面白い内容が思いついちゃった場合って、それ以外の部分の描き方が散漫になることが多いので、内容の薄い作品になることはよくあります。

特にこの作品の内容の薄さを感じるのは、7つの犯罪が「七つの大罪」をモチーフにしながらも、宗教的な解釈や描写が全くない所も大きいです。

確かに聞こえではいいんですよ。
「『七つの大罪』になぞらえた連続猟奇殺人事件」なんて言ったら、やっぱり見てみたくなるんだよな~

でもそれに続く哲学的な思想や深みみたいなものは全くありませんでしたよね。

映画「セブン」の脚本について

それに延長した感想になりますけど、この映画は最後がどんでん返し的な作品にはなっていますけど、脚本自体はいたって普通でしたね。

これって凝った映画のように思えるけど、ただ二人の刑事がいて、順々に猟奇殺人が起きるっていうストーリーで、実は工夫もないし構成上全く平坦で普通の作品のように思えんです。

ラストのオチが一番のメインイベントなので、そのイベントに向かって作品を作っているのですが、見ているこちらはそのメインイベントの事など全然知らないので、特に伏線を隠すことは難しくないですしね。

2回目以降は、確かに妻とミルズの関係性がやたら描かれているな、とは思いますが。

ただ、そういう伏線もグロテスクな映像も何もかもが、ただラストのメインイベントのために設定されているから意味がないしつまらないんだと思います。

この映画はグロテスクな映像も非常に美しいと評価されて人気の高い作品になっていますが、映像も作り込まれすぎていて鬱陶しく、やはり魅力的とは言い難いです。

デヴィット・フィンチャー監督作品「ゾディアック」との比較

私はデヴィット・フィンチャーが大好きですが、そこが初期の彼の作品のつまらない所で、フィンチャーは初期では「どんでん返し王」みたいな感じで名を馳せていましたよね。

私自身、映画におけるどんでん返しってあんまり興味はないんですけど、それは「セブン」のように、どんでん返しするために全てを設定することに意味がないからだと思っています。

(同じように、どんでん返し映画の金字塔「ユージュアル・サスペクツ」にも批判的な意見を持っています)

フィンチャーはのちの「ゾディアック」で似たような連続猟奇殺人事件を扱った作品を制作していますが、いい意味で「セブン」とは全く違った作品に仕上がっています。

「セブン」では、内容が無くてラストのオチだけを描いた薄っぺらい作品になったのに対し、「ゾディアック」はドラマティックな展開はなく淡々としてシンプルな作品ではありますが、非常に内容が濃くて魅力的な作品でした。

映像もずっと洗練されていて無駄がなく、シンプルで美しい。
まさに両極端だと思います。

映画「セブン」のラストシーンについて

しかしながら、「セブン」のエンディングに関しては、全く素晴らしいとしか言いようがないでしょう。

映画全体が薄っぺらくてイマイチを極めた作品なのに対して、ラストシーンは映像もスッキリとしていたし編集もイケていた。音楽も緊張感を煽るものになっていたし、役者の演技もぴか一。

そもそも、それまで映画全体が雨の降る街か室内でしか撮影されていなかったのに対し、ラストシーンではいきなり視界が開け、太陽光の降り注ぐ平原が舞台になっているあたりかなりセンスを感じますよね。

このラストシーンには、のちのフィンチャーの飛躍を予想させる素晴らしいものがあったと思います。

まとめ

というわけで、全体的には特に面白くもなくイマイチな作品ではありますが、やはりラストシーンが素晴らしいという事で、おススメしておこうと思います。

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