人間ドラマ・社会派

Netflix映画「ROMA/ローマ」感想&どうして評価されたのか徹底解説!

どうも、NITARIです。

2019年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた「ROMA/ローマ」は色々な意味で非常に珍しい作品でした。解説します。

映画「ROMA/ローマ」のあらすじと概要

映画「ROMA/ローマ」は、アルフォンソ・キュアロン監督の2018年の映画です。

出演者

  • クレオ – ヤリッツァ・アパリシオ
  • ソフィア – マリーナ・デ・タビラ
  • アントニオ – フェルナンド・グレディアガ
  • フェルミン – ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ

舞台は1970年のメキシコシティ・「ローマ」
主人公のクレオはある上流階級の家庭で住み込みの家政婦として働いている。

その家庭には夫人のソフィア、滅多に家に帰らない夫のアントニオ、4人の子供たち、ソフィアの母テレサが暮らしていた。

淡々とした毎日を送る家族とクレオ。
彼女は同じ家に務めている家政婦のアデラと一緒に休日に外へ出かけてボーイフレンドとデートを楽しんでいた。

出張ばかりで滅多に夫が帰らず、常にイライラしていたソフィアは時折クレオに辛く当たってしまうが、基本的にはお互いに信頼関係を築けていたのだった。

しかしあるとき、クレオの妊娠が発覚してしまう。
まずクレオはその事を恋人のフェルミンに語ったが、フェルミンはすぐに逃げてしまった。

クレオがソフィアに妊娠を伝えると、すぐに医者に連れて行ってくれ、妊娠3か月だという事を知るのだった・・・

映画「ROMA/ローマ」の解説

感想の前に、まずはいくつか書いておきたい点があります。
この映画を読み解くには、この時代のメキシコがどういう時代だったのかを知る必要があるからです。

映画「ROMA/ローマ」のタイトルの意味

この映画はタイトル「ROMA」
一見するとイタリアのローマのように思えまして、ローマが大好きな私としては、「何か関係があるのかなー」と変な期待をしてしまいました。

ローマに旅に出る話だろうか?とか
古代ローマにかかわる作品なのか?(メキシコなのに?)とか
ローマといえばカトリックだし、きっと宗教的な映画に違いない!とか

結果的にはなんてことなく、メキシコシティの土地の名前だったわけです。

「ROMA」というのは、メキシコシティの「Colonia Roma」と呼ばれる地域の事です。この地域はメキシコシティの中でも比較的裕福な人々が暮らす土地でした。

この映画で非常に重要なポイントが、「富裕層と低所得者層」の対比です。
主人公はもちろん、ひとりであれば「ROMA」に暮らせるような階級の人物ではありません。家政婦だからこそ、この地域に暮らすことができるのです。

しかもクレオは原住民系のメキシコ人。おそらく本来であれば虐げられた存在だったのではないかと予想できます。

1970年代のメキシコと「血の木曜日事件」

そこで、もう少し「富裕層と低所得者層」の事について簡単に解説したいと思います。感想はその後に書いていこうと思いますが、この映画にとってこの部分はある意味キモなので、もう少しお付き合いください。

戦後のメキシコは高度経済成長を遂げ、この映画で描かれる数年前にはメキシコシティ五輪が開催されました。

しかしながら経済成長の裏で、貧富の差もかなり広がりを見せてしまいます。
この「ROMA」というのは、経済格差が社会問題になっていた時代の物語なんですね。その経済格差真っただ中といってもいいような、富裕層と貧困層の心の交流を描くというのは、非常にチャレンジングなものだったわけです。

そして後半には、大きな暴動が描かれます。
1971年6月10日に実際に起こり、「血の木曜日事件」「コーパスクリスティの虐殺」と呼ばれた学生運動弾圧&虐殺事件です。当時の政権に不満を持った学生たちがクーデターを起こし、政府はそれを弾圧。

正確な死者数がなかなか出てこなかったのですが、300人以上は死者が出たようです(確かではありませんが)。

映画「ROMA/ローマ」の感想

さて、大まかな時代背景をお分かり頂けたところで、感想を書いていこうと思います。
とにかくですね、一口に言ってめちゃくちゃいい映画。まことに出色の出来栄えだったと断言してしまいましょう。

しかしながら、普段このような淡々とした映画をあまり観ない方には「どの辺が?」って感じかもしれないので、もう少し詳しく掘り下げていこうと思います。

映画「ROMA/ローマ」のテーマについて

さて、まずはこの映画って、一体何が言いたかったの?という点です。
映画を観ていただければわかりますが、この映画はとにかくほとんど全く起伏もなければ、実はほとんどストーリーらしいストーリーもありません。

しいて言うのなら、主人公のクレオが妊娠して捨てられる、という点がドラマティックといえばドラマティックですが、それもそれほど大げさな演出はなされず、淡々としています。

最終的には、クレオは死産してしまい、雇い主のソフィアも離婚してしまう。非常に悲しい、内容だけ聞けばうんざりかもしれない結末ですが、最も重要なのはクレオとソフィアや家族の絆です。

この映画ではクレオとソフィアの関係が非常に重要でした。
そもそも初めからクレオが子供たちに慕われていることはよくわかりましたが、夫に相手にされないソフィアは常にイライラしており時にはクレオに辛く当たります。

なので、見ているこちらは「こいつクレオの事いじめてるのかよ」とか思ったりするくらいなんですよね。

しかしながら、妊娠をソフィアに相談したあたりから「お?」となるわけです。
思ったよりクレオを心配してくるので、「いい人ぶることだけは忘れないブルジョワなのか?」と思ったりもします。

それに、医者に行くとクレオをほったらかして友人の医師に旦那の愚痴を言ったりしているわけで、「なんだ、愚痴りたいだけのブルジョワかよ」となるわけです。

しかしこの映画のすごい所は、クレオがソフィアをどう思っているか、ソフィアがクレオをどう思っているかの描写がほぼ全くない所です。

なので、クレオがその後妊娠についてどう思っているかの描写もないし、ソフィアとの生活に不満があるとか、逆に満足しているというような描写も全くありません。

ただそこには「クレオ」という家政婦で妊婦がいて、夫との関係に悩む雇い主である「ソフィア」がいるのです。

はじめはクレオ目線でこの映画を観ているので、雇い主であるソフィアに対して嫌悪感に似たものも抱いたりもしますが、ソフィアにクレオをいじめようという気持ちがなく、ただひたすらに夫の帰りを待っているのだという事がよくわかるわけです。

時間が経つにつれ、だんだんとクレオとソフィアには信頼関係があるのだという事がよくわかってきます。それはそもそも、子供たちがクレオの事を大好きなことからもよくわかるのです。

家族が皆で楽しそうに観ている横でクレオも一緒に笑顔でテレビを見ている、そういう関係なのだという事がよくわかるのです。

そしてそれらはあまりにも自然に描かれているのです。
クレオとソフィアの関係性を際立たせたシーンは、実はラストシーンのみ。それまでは2人の信頼関係は当たり前のようにそこにあるのです。

この映画は本当に静かな作品ですが、クレオの人物描写と同じくらいソフィアの人物描写が非常に細かく描かれており、とても魅力的です。

その流れから言って、特にラストシーンなど、涙なしに観れる人がいるのでしょうか?

何故、今「ROMA/ローマ」なのか?

というわけで、基本的に私はこの映画を絶賛しているわけですが、一つの疑問が頭をよぎりました。それは、「なぜ今、このモチーフを描いたのか?」という点です。

1970年代というなじみのない時代で、しかもどうしてドラマ性の無い一般家庭を選んだのか?

今の世の中で大きな問題である「経済格差」や「人種の壁」「宗教の壁」などを取り上げて、その中でなお人々は絆を得ることができるのだという事を伝えたかったんですよ。

今の世の中に置いて「貧富の差」は解決されるどころか広がるばかり。それを証明するかのように、世界中で暴動が起こっていますよね。
様々な人種に対する理解の無さも非常に取沙汰されています。

実は「ROMA/ローマ」で描かれる人間関係や社会問題は、そのまま現代の問題に置き換えることができるのです。

「だったら現代を舞台にしたほうがいいんじゃない?」と言われる方もいるかもしれませんが、時代をずらしてワンクッション置くことで映画がより客観的になるわけですよね。

もしこれが現代を舞台にした作品だったら非常にあざといし説教臭くなってしまったでしょう。

映画「ROMA/ローマ」の演出について

カメラの動きや一定のリズム

それにしてもこの映画はとにかく演出が美しかった。
が、実は私は初めはちょっと半信半疑でした。

あの、ゆっくりと動くカメラのリズムがどうも体に合わなかったんですよね。少しあざといように感じました。

しかし、後半に行くにつれてその一定のリズムがあるからこそ、登場人物たちの人間性そのものに集中できたのではないか、と思うようになりました。

それを最も感じたのは、暴動が起こってつわりがおこり、クレオが死産してしまうシーンです。

この映画のストーリーの中では唯一といっていいくらい、大きな出来事が頻繁に起こります。非常にドラマティックなんですよね。
しかしながら、カメラの動きや演出は全く今まで通り同じリズムを刻み続けていました。カメラの動くスピードなども全く変わりませんでしたよね。

ここで少しでも盛り上げようという意識が入ってしまうと、一気に監督の主観が流れ込み、この映画の登場人物たちのリアリティが無くなってしまったはずです。あくまでも一定のリズムで淡々と描く事で、見ているこちらに余白を感じさせ、考える隙を敢えて作っているという風にも言えます。

盛り立てすぎない構図も動きも、すべて計算しつくされた素晴らしいものでした。

「ROMA/ローマ」に登場する飛行機

この映画には、私が気づいた中で3回飛行機が出てきます。

一つ目は、オープニングショット。クレオが掃除する廊下に水が流れて、しばらくするとその水面に移った空に飛行機が映し出されます。

二つ目は、フェルミンの師匠が「技」を披露する背後に飛行機が飛んでいます。

三つ目はラストショット。クレオが屋上に上がった後に、空に飛行機が飛んでいます。

「飛行機」と聞いて、おそらく多くの人が「自由」を連想すると思うんですよ。で、多分この映画でもそのような意味合いで使っていることは間違いないと思います。

しかし、これらすべての使い方は全く別々なんですよね。
一つ目の飛行機は「実像」ではなく「映った影」なんですよね。しかも、屋内から屋根の隙間に移った小さな飛行機は、クレオがまだ狭い世界から自由を得ていないという象徴のように思えます。

二個目を飛ばして三つ目のラストショットは、それに対して開けた空に飛んで行く飛行機が描かれます。クレオがいる場所も廊下ではなく、空の開けた屋上。これはクレオが精神的に自由を手に入れた、とか解放感を表している事が分かります。

では二つ目はどうかといえば、まあ不明といえば不明ですが、あの意味不明な師匠がとりあえずめっちゃ自由っていう意味があるのかもしれません(まあ実際自由といえば自由だし)。

ただ、あのシーンでの飛行機の使い方は他の二つに比べて非常に大々的で視覚的な効果が高いので、ただ単にそこに飛行機を飛ばしたら面白いんじゃないの、という意図かもしれません。実際死ぬほど面白かったし。

映画「ROMA/ローマ」の笑いについて

かねてより私は、映画には絶対に笑いが必要(もしくは恐怖horror)といっています。
ROMAのような淡々とした作品の多くは、この笑いの視点ていうのが後回しにされていますよね。とてもいい映画でもそれではなかなか満点を与えるのは難しい現状です(私的には)。

しかしこの「ROMA/ローマ」はその点においてもパーフェクトでした。あまりにも笑いを分かっているのです。

そもそも私はかなりソフィアの描き方が好きでした。
狭い車間に無理やり車をねじ込んで、その車の破片が刺さったまま病院にたどり着くシーンなんか傑作です。

(ちなみに、ソフィアが「狭い所を入り込む」という描写は、おそらく「車=夫=不相応」というメタファーになっていると思われます)

そして先ほども少し書きましたが、フェルミンの師匠。あれは一体なんだ。急に来た感が半端ない。そして意味とかもちょっと割かし不明。

唯々シュールで面白いためだけに割と長い時間を割いている無駄な感じが、ひたすら面白いんですよね。

やっぱりねー、映画はある程度無駄っぽいシーンを作らないとダメ。そして笑わせてくれないとだめだと思ったよね。

まとめ

色んな方向に話が飛んでしまいましたが、要するにめちゃくちゃいい映画だったよね、という事です。

多くの人におすすめしたい傑作でした。