どうもこんにちは、NITARIです。

映画「マリー・アントワネット」を再見しましたのであらすじと感想です。

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映画「マリー・アントワネット」のあらすじ

映画「マリー・アントワネット」は2006年のソフィア・コッポラ監督の映画です。

オーストリアの皇女マリーは、母であり女帝マリア・テレジアの策によってフランス王室に嫁ぐことになった。

それは同時に、祖国オーストリアとの永遠の別れを意味していた。
フランスではマリーは厚くもてなされ、大々的に結婚の儀は執り行われた。しかしその夜、マリーとルイ16世の間に夜の営みはなかった。

その後もルイ16世の不能により夫婦生活はなく、懐妊のニュースに待ち焦がれるフランス国内の期待に添えることができないマリーは、「オーストリア女」「不妊症」などと陰口をたたかれるようになる。

マリーはそのうっ憤を晴らすかのように、ギャンブルやパーティ、ドレスや宝飾品のショッピングなど、浪費に明け暮れる日々が続いていた。

そんなあるとき、マリーは覆面パーティでフェルゼン伯爵という男性に出会うのだった。

映画「マリー・アントワネット」の感想

「マリー・アントワネット」の真実を淡々と描く

「マリー・アントワネット」のいい所といえば、なんといっても前半部分でしょう。

そもそもこの映画はマリーの時代をなるべく等身大に、リアリティを持って描くという事をコンセプトにしています。
なので、最初からかなり淡々とした作りなんですよね。

マリーがどのように暮らしていたか、何を考えていたのか、フランス革命をどうとらえていたのかがマリーの目線で描かれているので、ドラマティックに脚色されがちなフランス革命やマリー・アントワネットの生涯が、非常に淡々と描かれているんです。

それは、今までに私が見たことがなかった試みなので、非常によかったと思います。

マリーがオーストリアからフランスへ入国するシーンや、宮廷内の朝の儀式など、「へー」と思うような描写が淡々と描かれているのは好感が持てます。

マリー・アントワネットに限らず宮廷好きにはたまらない映画なんじゃないかなと思います。宮廷好きじゃなくても女子には楽しめる映画かも。かわいいので。

映画「マリー・アントワネット」のファッション

もう一つこの映画の大きな魅力としては、もちろん当然ですが、ファッションや美術の美しさとかわいらしさです。とにかく可愛い。

この映画は非常に画面の作り方が凝っているので、どのシーン、どのショットを見てもとにかく可愛くて素敵なんですよね。

衣装のデザインも可愛いし、ヘアスタイルのやりすぎ感もめちゃくちゃ可愛い。でも特に私が夢中になったのは、の可愛さです。

今まで、ロココ様式のドレスなんかは映画とかでよく見ていたけれど、この時代の人がどういう靴を履いていたのかは全然分からなかったので、とにかく見るもの見るもの新鮮で夢中になってしまいました。

もちろん、この映画はそういった画面作りも現代的なアレンジがしてあります。

マリーがフェルゼン伯爵と出会った仮面舞踏会のファッションを見れば、まあ当然あのようなファッションが当時あったわけないのは分かりますし、映画全体がやはりそういうテイストなんだと思います。

ちょっとお下品な感じもロココを表現していてすごく面白かったです。

ファッションだけでなく、映画全体が非常におしゃれな作りになっていて、まあ「ミュージックビデオみたいに作り込まれすぎている」と言われれば反論はできないものの、やりすぎ感も含めて私は好意的に受け取っています。

映画「マリー・アントワネット」の風刺的な笑い

この映画は特に前半の部分ではかなり笑えるシーンが多いです。

仰々しい宮廷内のシーンなどはバカバカしくて非常に笑えるんですよね。
そういう「当時のあほさ」みたいなことは良く描かれていて、そういった意味でもよくできているなと思います。

特に素晴らしかったのは、マリーの付き人(?)であったノアイユ伯爵夫人
ノアイユ伯爵夫人の所作の面白さはかなり一級品で、もちろん演出や脚本力もあるのかもしれないけど、とにかく役者のジュディ・デイヴィスの実力がただ事ではありません。

映画「マリー・アントワネット」の問題点

しかしながら、この映画には大きな問題点もあります。

先ほど、この映画は「淡々と事実を描く所が素晴らしい」と書きましたが、それは前半だけ。後半になると、フランス革命やいろいろな事件をあまりにも大雑把に描きすぎて物足りなく感じます。

私はこの映画は基本的には好きで何度も観ていますが、必ず毎回思う事なんです。
何でこの映画は薄っぺらい作品になってしまったんだろう?と。

前半部分は質感も感じれてリアリティがあるのに、後半はなんだかちぐはぐな印象なんです。

今回はじっくり分析してみました。

映画の視点・言いたかったこと

まず、この映画は結局何を表現したかったのか?という部分。
初めは、マリー・アントワネットの真実を描く事を目的としていたと思っていたんです。「こんな時代だったよ~」という。

だけど、結局後半のフランス革命の混乱などは一切端折られているので、時代性みたいなものは全く分からないんですよ。

じゃあ一体何を描いたのか?
それはマリー・アントワネットのライフスタイル(おシャンティ)だったんですよね。

それは別にいいんですが(というか一瞬見ればそれは分かりますが)、問題は、「マリー・アントワネットのライフスタイルが非常に現代の女性からして好意的に描かれて「しまった」という事だと思うんですよ。

つまり、「マリーは道を外れてしまったけれど、本当は普通の女の子と何一つ変わらないんだよ」という、比較的マリーに対し同情的な視点で描いている。

これが、この映画の後半部分の支離滅裂感を演出してしまっているんですよ。

なぜかといえば、確かにマリーは普通の女の子だったのかもしれないけど、誰がどう考えても全面的に被害者として描く事が出来ない罪深い部分を持っているからです。

で、別にソフィア・コッポラ監督もこの映画に置いてマリーを「被害者」というようには描いてはいないんですよね。どう考えても罪な部分があることは分かっているので。

だから、後半はあえて革命をあんま描かずに誤魔化した。あんまりちゃんと描くとマリーが悪者になってしまうから。

それがこの映画の後半部分の支離滅裂で淡白で内容の無い感じになってしまった理由だと思います。

プチ・トリノアンのシーンの描き方の疑問

一番違和感があるなと思ったのが、プチ・トリノアンでの彼女の描き方です。

プチ・トリノアンとは?

ヴェルサイユ宮殿の離宮。
元々はルイ15世が愛人のポンパドゥール夫人のために建てたものの、完成を前にポンパドゥール夫人は亡くなってしまった。
その離宮をルイ16世がマリーに与え、彼女は庭をイギリス調に育ててプライヴェートな離宮として友人と一緒に過ごした。

マリーがプチ・トリノアンで女子会開いて楽しんでたことは周知のことですが、この庭でのマリーの様子は非常にナチュラルで魅力的に描かれていましたよね。

普通の人間として息抜きをしたくなる気持ちは分かりますが、この時フランス国民がパン一つ買えずに死んでいた事実を考えると、どうしてこういう演出になったのかな?と思います。

他の、贅を尽くすシーンはそれでもどことなく風刺的というか、マリーを愚かに描いていたと思うんですが、プチ・トリノアンのシーンは完全に「宮廷内の息苦しさから離れてようやく自分の居場所を見つけたマリー」みたいな扱い。

いやいやいやいやそれどうよ、っていう。
さすがにプチ・トリノアンの描き方は微妙を極めた。

で、別にそれもこのシーンだけだったらまだよかったのですが、要するにこのプチ・トリノアンのシーンから後半はどんどんフランス革命によって国家が傾いてゆくわけだけど、そういうところほとんど描写しない。

なんとなくマリーが暗い顔色になってゆくくらいで、「マリーに不利なことはなるべく描きたくないなあ」というのがこの映画の本音なんですよね。

これではせっかく「マリー・アントワネットをリアルに描く」というはずだった映画がどんどん薄っぺらになってしまうわけです。

マリーは全然悪気なく生活していてフランス国民の事など全然考えていなかったので、急にフランス革命が起こって「こんなはずじゃなかった・・・」となったのではないか?とソフィアは考えたはずです。

ソフィア・コッポラはそんなマリーをリアルに描こうと思い、そのように演出したのだと思います。マリー視点でフランス革命を描くというコンセプトは悪くないと思います。

ただ、「マリーは知らなかったのよね」という風に決め込んで、時代に翻弄された人としてフランス革命を描くのをおろそかにするのではあまりにも本質的ではない

もしもフランス革命を「描かない」のであれば、何も知らずに国民を苦しめていた「悪」や「無知」として、マリーに肩入れすることなくただのバカとして描いてもよかったかも。

マリー・アントワネット視点で描くのはいいので、「マリーが普通の女の子」という視点からもう一歩踏み込んで、フランス革命を新たな視点で描いてほしかったなーと思います。

「普通の女の子」で説明のつく方ではないんでね・・・

そもそもマリー・アントワネットってどうなの?という話

まあここからは私の個人的な意見ではあります。

そもそもマリー・アントワネットって、どうなんでしょうか?

非常に罪深い人ですが、歴史上非常に重要な人物で華やかですよね。
日本でも「ベルサイユのばら」などでとにかく人気の高い人物です。

国内外の歴史上の女性で、最も人気があるひとりだと思います。スキャンダラスですしね。

しかし実際はただのバカです。
大勢の罪なきフランス人を餓死に追いやったただのバカの一人ですし、その上、正直言って当時のフランスにどれだけ影響力のあった人なのかよくわかりません。

確かにマリーがとにかく金を使ったというのは事実だと思いますが、マリーを含めたフランスの王侯貴族がそうだった、それの頂点だったというだけです。

そもそもマリーは政治家ではないので、金を使ったという事以外に見どころはないかと。中国人の多くを餓死に追いやった毛沢東とは本質的に違うのであって。

首飾り事件などもよくマリーを語る上で出てきますが、あれ本人全然関係ないですしね。

首飾り事件とは?

ラ・モット伯爵夫人がマリーの友人だと語り、マリーへのおくりものとして、高額のダイヤの首飾りをだまし取った有名な詐欺事件。これがきっかけで国民のマリーへの反発が強まったとされる。

マリーを描いた作品はいろいろありますよね。どれを見ても、いろいろな視点で書いているにもかかわらず、なんか空虚を感じてしまう。

マリーが頭悪いからだと思います。あと意外とあんま意味ないから。

マリーがデュ・バリー夫人に敵対してギリギリまで挨拶しなかった、というのも非常に有名な話ですが、正直そんなバカみたいな話はほんとどうでもいい

歴史的な話だと思って昔はまだ興味深く見ていたけど、よく考えてみるとワイドショー的ゴシップであって歴史上ほんとどうでもいい。

マリーが人気の理由がそれで、とにかくマリーにはワイドショー的ゴシップネタが満載なんですよね。

良くも悪くも、映画「マリー・アントワネット」ではそういったどうでもいいゴシップネタみたいなものもリアリティを持って描かれていたので、よりどうでもよさを感じました。

まあそれは客観的視点というよりは、個人的な好みの問題です。

まとめ

以上が感想です。
全体的に微妙だけど、部分的には魅力的な所もあると思います。前半は特に素晴らしい出来栄えなので、その辺はおススメです。

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