どうもこんにちは、NITARIです。

ロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」を久しぶりに鑑賞しましたので感想です。

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「ライフ・イズ・ビューティフル」のあらすじ

「ライフ・イズ・ビューティフル」は、1998年にイタリアで制作された映画です。

映画の始まりは、1939年のイタリア北部。
主人公のユダヤ系イタリア人のグイドは、叔父を頼りに友人と共に北イタリアの街にやってくる。

そこでグイドは、教師として働いている女性ドーラと恋に落ち、愛息ジョズエをもうける。

時代はファシズム政権が横行し始めた時代。だんだんユダヤ人への圧力が強まる中で強く生きてきたグイドだが、ある日ドーラの留守中にグイドと叔父とジョズエは強制連行されてしまう。そして、すぐに追いかけたドーラは、自らの意思で強制収容所への汽車に乗る。

ジョズエはまだ幼く、彼らの運命を悟らせるには忍びないと、グイドは「これはゲームなんだ。頑張って1000点取れば家に帰れるよ」と嘘をつき、強制収容所での絶望的な日々を乗り切ろうとするのだった。

「ライフ・イズ・ビューティフル」の感想

まあ問題を多く孕んだ作品ですよね。

最もわかりやすい問題点としては、「そんなわけあるかい!!」の連続と言ったところ。
とにかくこの映画に描かれる現象にはあまりにも無理がある。

そのことを語るのに、とりあえず全体の構成から見直したいと思います。

グイドの人間性と恋模様を描いた前半

まず、前半はグイドがドーラと出会って恋に落ちる、というシーン。
それだけで軽く50分は時間が経ってしまいます。

この映画、ホロコースト映画という触れ込みに一応はなっていて、伝えたいテーマも「どんな時代でも前向きに生きる、人生は美しい」といったものでありますが、実は強制収容所などのシーンは物語の後半で、前半50分はグイドがドーラと出会って恋に落ち、結婚するまでが描かれます。

これが、あまりに長い。長すぎる。

50分というけど、正直言って冒頭から25分くらいはグイドの人間性とドタバタコメディで時間が過ぎてゆきます。

そこで描かれるグイドの人間性もひどいもので、「グイドがいかに善良なユダヤ人か」という点だけを執拗に描く。無駄。あまりにも時間の無駄。

そしてようやくドーラとの恋が描かれてゆくわけですが、もう言ってしまえば、ホロコーストを表現するのに「いかに善良な市民か」という描写自体いるか?と思ってしまう。

比較して申し訳ないけど、ロマン・ポランスキー監督の傑作「戦場のピアニスト」ではのちに迫害される家族の人物描写など、最初の5分で「ライフ・イズ・ビューティフル」よりも上等に描き切っていると思う。

そこに人がいればいいのだ、という事をよくわかっているからね。
「ライフ・イズ・ビューティフル」は過剰演出すぎるんですよ。ホロコーストは善人だけが被害に合っただけではない。そういう現象ではなかった。

つまり、そもそも監督のベニーニが想定していたはずの、「善良で楽しく暮らしていた市民が収容され、強制収容所でも前向きに生きてきたが、子供を一人救って死んだ」というプロット自体が本来だったら成り立たないんですよ。そういう現象ではなかったわけですから。

それはともかく、前半は、別に必要ないし面白くもなく、むしろ「感動させてやる!」感がめちゃくちゃあざとい過剰演出のラブロマンスを見せつけられて辟易としていたところに、ついにグイドが収容されてしまうという段階になってきます。

収容されてもなお前向きに生きようとする後半

しかしまあ、この映画におけるもっとも重大な問題点というのはそういう事ではやはりありません。

先述したように、ホロコーストという、あまりにも凄惨な歴史を矮小化させてしまうかのような描写です。

この映画を観れば誰でも思う事だと思いますが、先ほども書きましたけど「こんなわけあるかい!」という感想しか出てこない。

もちろんこれは映画だしコメディベースの作品なので、他の映画と同じように「こんなわけあるかい!」というポイントがあってはいけないんではありません。

大体その「ありえなさ」が笑いになっていることも多いわけなんで。

しかし、この映画においてはそうとも言えませんよね。
そもそもこの映画は「ホロコーストの事実を伝える」という事がコンセプトになっているわけではなく、ベニーニ監督が「ホロコーストの時代にも子供のため、家族のために勇敢に『嘘』とつきとおした男」を描きたかったわけだから。

これは似ているようでいて全然違うんですよ。
そもそもベニーニ監督には「ストーリー=理想」があって、そこにホロコースト現象を当てはめていったという順序になるわけだから。

ここが最大の問題点だと私は思うわけです。

ホロコーストほどの史上最悪の事件を「プロットのツール」として使ってしまうのは本当に危険だと思うんですよね。

本来だったら間違いなく、「ホロコーストという事件について伝えたい」というモチベーションから映画が誕生するのが理想なわけですから。

後半、いろんな酷いことが彼らの身に降りかかっても、何とかそれを乗り越えようという風に描きたかったのはわかるけど、そのために事実を捻じ曲げてしまったのでは本末転倒ですよね。

最も不必要なキャラクター・ドーラ

そのことは、イタリア人女性でグイドの妻であるドーラを見れば一目瞭然。

ドーラはイタリア人女性でありながら、自らの意思で収容所への汽車に乗ります。
こういったことが実際に起こりえたのかどうかは不明ですけど、そもそも彼女が収容される展開というのは必要だったのでしょうか?

私は最初からのこの女性の事が好きになれませんでした。
特に収容されてからの彼女の描写が、あまりにも雑過ぎるというか甘すぎません?

例えば、グイドが施設内放送を則って彼女を笑わせようとしたり、蓄音機を収容所に向けて流したり、話としては美しいけど、リアリティがあまりにもない。

リアリティがないというのは、「囚人がそんなことできるわけないじゃん!」という点ももちろんそうなんですけど、まあそこは大げさなコメディという事で目をつむるにしても(まあ難しいけどね)、もっとおかしいと思うのは、その時のドーラの反応なんですよ。

囚人として生活している以上、命の保証はないわけだから、一緒に収容されているグイドや息子の身を案じているに決まってます。一緒に収容所に来ちゃうくらい執着心があるんだったらなおさら、常日頃、2人の安否の事しか頭にないはずです。

それなのに、施設内放送で彼らが自分にメッセージを投げかけて来たりしても、思い出のオペラを流してくれても、ドーラは打っても響かないというか、ただポケーっと音のなるほうを微笑んでみているだけ。

私が最もリアリティがないと思ったのがこれです。

しまいには、自分が助かって歩いていたら自分の無事だった息子と再会を果たす、そのシーンでも夫の安否を気にするでもなくただ笑ってるだけ。

ストレスで頭がおかしくなっちゃったのか?と思いたくなるくらい。

これは別に女優が悪いわけではなく、ベニーニ監督の頭の中にある「美しいシーン」を演じるためには、事実がどうだったのかという事は脇に置かれていたという事ですよね。

もはや悪質な域に達していると私は思う。

ホロコーストを描く難しさについて

ホロコーストを扱った作品はたくさんありますよね。

有名な作品ではスピルバーグ監督のシンドラーのリストや、先述したポランスキー監督の戦場のピアニストがあげられますが、他にも数多の作品が存在しています。

私自身、ホロコーストという事件については非常に興味があり、実際にポーランドの「負の遺産」アウシュヴィッツに足を運んだこともありました。

でもそんなことではホロコーストを理解することは到底無理です。
ホロコーストを理解するのは、普通の人間には無理だと私は思います。

でもそれを何とか伝えたいというのは芸術家としてはあるのだと思う。

ホロコーストの時代には、ユダヤ人にとって何一つ良い事がなかった時代です。個人個人では些細な良い事はあったかもしれませんが、気の持ちようで前向きに生きられるという時代でなかった事だけは確かです。

そんな人類史上最も重大な事件をこのように描くことに関して、私は怒りの気持ちを持ってしまいます。

一方で、「一般的な理解を促す為にある程度オブラートに包んだ表現が必要か」という点においては、なんとも言えません。

どういうことかといえば。
そもそも、「ホロコースト自体を映画(=商業)にしてしまうのってどうなの?」と言われたらなんとも言えないっていうところですよね。

ホロコーストを扱って儲けるのはどうなの?という事もあるし、何をやっても不謹慎と言われればそれまでですから。

それに関しては、ホロコースト関連作品としては最高傑作と名高いドキュメンタリー監督のクロード・ランズマンが言っていたように記憶しています。

彼は「シンドラーのリスト」をこき下ろしていました。

私自身は、「シンドラーのリスト」は押しなべていい作品だと思うんですよ。確かに、この作品にもいくらかの問題点はあるとは思うけど。

私が一番思うのは、例えばランズマンの作ったドキュメンタリー作品「ショアー」や、やはり傑作と名高いドキュメンタリー作品の「夜と霧」などのような作品だけがホロコーストの事実を伝えるものとして存在していた場合、それを目にするのは結局は一部の人間だけだよね、という事です。

その点においては、「シンドラーのリスト」が感動作だったとしても、私が知る上ではある程度事実に近い描写ができているのではないかと思うので、多くの方があれを見てホロコーストを知る、という点で否定しきれない点があると思います。

もちろん、「戦場のピアニスト」などはホロコーストを扱ったフィクションとしては圧倒的なクオリティであることは間違いありませんが。

そうやって考えてみると、感動作であろうとも、とにかくホロコーストを語り継がなければならないのでは?とも思うのです。

しかしながらそうやって差し引きで考えても、「ライフ・イズ・ビューティフル」はあまりにも事件を矮小化していて、悪質だと思ってしまいました。

なるべくいろんな人にこの作品を見てほしくないな、と思うわけです。

「ライフ・イズ・ビューティフル」まとめ

という事でいろいろ書いてきましたが、最後にこの映画の唯一良かった点としては、とにかく子役があまりにも愛らしかったという事です。

まあでもね・・・彼はあの時5歳くらいでしょうか?
5歳のガキをバカにしすぎているというか、5歳にもなって強制収容所にいたことにすら気づかないなんてどうかしてるって、スタッフの誰か言わなかったのかな?と思っちまいますね。

という事で「嫌いな映画」認定しました。こちらからは以上です。

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