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アニメ映画版「聲の形」感想・3つの疑問点と共感した点

どうもこんにちは、NITARIです。

アニメ映画「聲の形」を観たので、感想を書きます

アニメ映画「聲の形」のあらすじ

主人公の将也のクラスに、先天的に聴覚障害を持つ硝子が転校してきた。
クラスメイトの植野や川井をはじめ、女子たちは彼女を受け入れて仲良くしようとしていたが、次第に彼女の生涯によって学校生活に支障が生まれ始めると、いじめが始まった。

初めは軽いからかい程度だったものがだんだんエスカレートし、将也や植野をはじめいじめはどんどん広がってしまった。

しかし、どれだけひどいいじめを受けても硝子は笑顔を絶やさない。

ある時、将也は硝子が耳に付けている補聴器を耳からもぎ取ると、彼女は耳にけがをしてしまう。

その事件が大きな問題となってしまう。実は、補聴器を壊すのはこれが初めてではなかった。小学生の将也はその価値を知らず、高額の補聴器を壊し続けていたことが将也の母の知るところとなり、西宮の母親に弁償代とお詫びに行った。

そしてそれまでいじめる側だった将也は、今度は虐めの対象となってしまう。
硝子は別の小学校へ転向していった。

現在。高校生になった将也はバイトをして補聴器代を貯めると、全額を母親に遺して飛び降り自殺をしようとしていた。

実はあれ以来将也は人とかかわすことが難しくなり、今もクラスに友達は出来ずに浮いているのだ。

自殺は失敗に終わるが、彼はあるとき、硝子の通う手話サークルを訪れる。
彼は高校生になってもあの時の事を心に病み、硝子とコミュニケーションを取るために手話まで取得していた。

再会した硝子は昔と同じように、笑顔で将也と接してくれたが・・・。

アニメ映画版「聲の形」の感想

では、「聲の形」の感想です。

通常は映画の全体的な構造分析してから感想を書くことが多いですが、この映画は非常に構造はシンプルで特に説明すべきものもないので、いきなり感想に行こうと思います。

様々な重いテーマを孕んだ作品ですので、いい所と良くないところがあり、それがまた両極端だったかな、と思います。

という事で順番としては良くなかった部分というか、ちょっと謎だったという部分から語っていこうと思います。

前提として、私はこの作品は当映画作品しか見ておらず、漫画版も読んでいません。そのうえで、あくまでも「映画版だけを観た感想」として受け取っていただければと思います。

アニメ映画「聲の形」の疑問点①なぜ硝子は聾学校に進まなかったのか?

まずは批判点というか、疑問点になります。

これは映画版だけ見た人だったら誰でも思うと思うんですが、なんで硝子が聾学校に行かなかったのか?という点です。

この問題はちょっと難しいのですが、聴覚障害を持っている場合は聾学校に行くべきだという考えは一般的にはありますよね。

そして、正直に言ってこの映画を観る限り、彼女が健聴の小学校に通う事で大きな問題が勃発しているのも事実です。

私自身、耳が聞こえないことでここまで周りに支障が出るのであれば、聾学校に進ませたほうがいいと正直思いました。

この意見は、差別という事になるのでしょうか?
せめて、硝子に口を読むスキルがあれば、もっと円滑にコミュニケーションを取ることができたと思うし、それだったら教師が意識していれば授業にもそれほど支障はなかったのだと思います。

ただ、聴覚障害があったとしても、一般の小学校に通わせたいという親の気持ちは理解できます。

この場合、このクラスの担任が非協力的だったことが大きな問題だったのかもしれません。もしも担任が協力的で、積極的に教育をするような人間だったら別だったのかもしれませんよね。

硝子が一般の小学校に通う理由みたいなもの(要するに、親の気持ち)などを描くシーンがあると分かりやすいのですが、映画としては判断の分かれるところで、その点はいちいちい説明しなかったのは良かったのかもしれないとも思います。
疑問は疑問ですが。

アニメ映画「聲の形」の疑問点②硝子の魅力について

はっきり言って、この映画に描かれる硝子は本当に魅力のかけらもない、ただただ偽善的でリアリティのないウザい女であったことは大きな問題だと思います。

虐める気持ちは分かりませんが、この女が嫌いで「あんたが嫌い!」という植野の気持ちは痛いほどによくわかる。(後述しますが、私は植野というキャラは非常に好きでした)

この映画を観て、彼女の事を好きになるような人がいたら、はっきり言ってそんな人も偽善者なので友達になりたくないレベルです。描き方がひどすぎる。

こんなに典型的な「いい子」って私はいないと思いますよね。
だって普通に、自分の事をいじめている人間にあれほど友好的な態度を取れる人っていると思います?

虐める相手の事なんて怖いからとりあえず愛想笑っとけっていうのならまだしも、嫌がらせの落書きを見ても「ありがとう」っていったり、補聴器壊されても「ごめんなさい」っていったり、自分を虐めた男がターゲットになったら一人で必死に落書き消したり。

マリア様かよというレベル。

私だったら、まず嫌がらせの落書き見たら凹んで逃げるし、補聴器壊されたら一つ目でチクるし(この映画では20万もする補聴器8つ目まで問題にならなかった)、じぶんをいじめた男がターゲットになったらほくそ笑む

そういうことをしない人間がどれだけいるのだろうと思いますよね。
いじめられた少女がこんな風な態度に出るところなんか今まで観たことがないし、こんな風にいじめられる側を描く作品って映画や漫画でも私は見たことがないです。

ありますか?
いじめを題材にした映画は多くありますけど、いじめられる側がこれだけ前向きな作品見たこと私はなかった。

ただ、「障がい者絡み」の作品だったら見たことがあったかもしれない。

私が許せないのはそこなんですよ。
この映画がいじめられる側をこれほど「いい子」に描くのは、彼女が聾唖だからです。

この映画のヒロインが障がい者でとにかくいい子っていう描写になってしまうところに、言っちゃ悪いけど潜在的な差別意識を感じます。

こういう描写をすると、障がい者は健常者に対して健気でいい子であるという刷り込みがなされてしまう。

障がい者は別に普通の人なので、いい人もいるでしょうがめちゃめちゃ嫌な奴とかしょうもない奴だって普通にいるわけですよ。
なのに、これほど特別な感じで神格化してしまう事について疑問を禁じ得ないです。

健常者側に都合のいいキャラでしたよね

アニメ映画「聲の形」の疑問点③将也のねちっこさについて

この映画では将也の自殺未遂から話は始まります。
現在高校3年生になった将也は、小学校時代からいじめの影響で自分の居場所を作れずにいますよね。

そんな彼はずっと、小学校の時に硝子を傷つけてしまったことを公開して、ついに高校3年生の現在硝子と再会するというわけです。

 

・・・そんなわけあるかい

 

いろんな意見があるかと思いますが、私はこの展開にも疑問符が湧き出てきました。

元々明るくてクラスの中心的人物だった少年が、一時期いじめを経験したくらいでこんな風に暗くなるという事は・・・まあそこはまああるとしても、その彼が小学校時代にいじめた女の子の事を気に病んで高3で自殺しようとするなんて、あり得ないと思いますよ。

もちろん、あの事件がきっかけでいじめを受けるようになって、それで人間関係を構築するのが難しくなったというのはあるかもしれないけど、それで自殺しようと思う事まではあるかもしれないけど、それが小学校の時に女の子をいじめてしまったからという事はまずないです。

人間はそれぞれ、それぞれの文脈で生きています。
映画では小学校6年生の時と高3の彼らしか描かれていなかったけど、実際はその間にもかなりいろいろなことがあったはずです。

そんな中で、いろいろあっても結局はたった一人の女の子を傷つけてしまった事ばっかり気に病んでしまうなんてことはないと思いますよ。

そんな凄まじいほどに繊細君だったら、そもそもいじめなんかしません。
人間はどっちかというと自分に都合のいい事しか考えないので、いじめてしまったのは今思うとまずかったな、って思ってる人は多いかもしれないけど自分の中でその気持ちとなんかしら折り合いをつけて生きていくのだと思います。

何で私はこの件に関してこんなにはっきりと書くのかといえば、私がいじめられっ子だったからです。

私はいじめを受けて来ていて、結構嫌な思いをしました。
しかし、かつて私をいじめて省いていた友達と今も仲が良いです。

一時期はいじめていたけど、時がたつにつれていじめがなくなってゆき、自然に普通の友人関係になりました。

私自身はその事について何のわだかまりもないし、それはそれとして彼らの事は好きです。

しかし、私はずーっと考えているんです。「どうして人をいじめるのか」
そして、「一時期はいじめていた人間が、いつの間にか和解して仲良くなるってどういう事だろう。いじめた側はそういうときの記憶をどう思っているのか」

私には今でも疑問なんですよね。
そういうときの気持ちって、結局は合理化して忘れてしまっているのだと思うし、場合によっては反省して、今後はそういう事しないようにしようと思うんですよ。それでおしまいです。

将也が高3まで悩み続けていたのだとしたら、他でうまくいかないことをその時のせいにしていたか、ただ悩んでる自分に酔っていたかのどっちかです。

アニメ映画「聲の形」の良い所

さて、これまで書いてきたように、この作品には大きな問題点や疑問点がいくつも存在します。しかしながらこの作品すべてを完全に否定できない部分がありました。

これほど否定的に描いてきましたが、いじめられていた側として「うわわわぁぁぁ」となるくらい共感できる部分もありましたよね。

あるあるでした(笑)

そもそも、この映画に出てくるキャラたちは時々、ビックリするくらいリアリティがありました。
まあ、さっきも書いた通り硝子は最低でしたが、将也も過去の描き方については微妙だけど、人とうまく接することができない雰囲気などは非常によくわかる。

他の人の顔がバッテン「×」つけていて、直視できないというのもよくわかります(まあ、あれは分かりやすい描写なのでできれば別の表現のほうが面白いかなとはおもいましたが)。

一番「わ・か・る!!!」と思ったのは、そもそも将也があんまり人と付き合うのが好きじゃなくて一人で過ごしていたが、だんだん友達ができ始めて、だんだん楽しくなってきたのに、自分の意図しない部分から少しずつほころびが出てくるというところ

不器用なんですよね、将也。

この映画ですごくさりげなくキーになっているのが川井で、小さい頃からいい子みたいな顔をしてマジで性悪
将也達の人間関係がこじれたのも、川井が大きな原因です。

昔の事を掘り返して口論になっている姿を見た将也が、「俺が全部悪い」と周りを傷つけるような態度に出てしまうけど、これはマジで当然の結果かと。

こんなしちメンドクサイ過去の話を蒸し返して「誰が悪いだ~あーだこーだ」と言われたらうんざりしますよね。

むしろ、この時に友達が「なんだよ酷い」とか言ってあっさり離れてゆくのとか完璧に意味不明で、こんな上っ面な友達はいなくなって大正解とか思った。

このように、この映画はある部分には大きな問題を孕んでいるとはいえ、「いじめbefore & after」がテーマの作品としては非常にこだわった描写をされており、要所要所で目を見張る素晴らしいシーンがあったのも事実です。

アニメ映画「聲の形」の魅力的なキャラ・植野

この映画ではいじめっ子のように描かれていた植野という存在は、実は最もリアリティのあるキャラなのではないかと思います。
自分なりに過去に折り合いをつけている嘗ての「いじめっ子」ってこんな感じだと思います。

彼女は「どうあっても硝子が嫌い」という態度を最後まで崩さず、本人にもそのような態度で接しますが、全く共感するしかない。

その上最後に、彼女に伝わるように「馬鹿」という手話を覚えてからかったりする展開のすばらしさ。彼女がいなければ絶対にこの映画は成立しなかったのだと思います。

アニメ映画「聲の形」のラストについて

しかしながら、最終的な落としどころは私は納得がいきませんでした。

つまり、硝子が自殺しようとするのを助けた将也が事故って昏睡状態に陥ってからの展開です。

この事故がなかったら、彼らの人間関係はどうだったんだろうって思うよね。
硝子たちとは仲良くやってたけど、将也は周りをディスって離れて行ってしまった段階で事故にあったから、そりゃあ離れて行った友達は戻ってくるよね。

この事故、ずいぶんと都合がいいですね。
しかもこの事故があったがために、硝子の母と将也の母も仲良くなったわけで(まあ、この二人が仲良くなったのは気持ちいい展開でしたが)。

いろんな事がこの事故をきっかけに丸く収まっていましたけど、将也がしたのは硝子を助けようとしてうっかり落ちたってことで、人間関係にかかわるようなことは一切してないわけです。

別にいいんだけど、できればちゃんと人と人ととの関りを描いたうえで丸く収まってほしかった気もします。

あと、この映画は2回にわたって登場人物の自殺未遂が描かれていますが、ずいぶんと軽いな、と思いました。

まとめ

全体的にはかなり微妙だったり、「大嫌い!」な部分は多くありましたが、私個人としては自分の心にわだかまっている部分をうまく表現してくれたところもあって、いろいろ言ったけどよかったかなと思います。

良かったというか、分かる。という感じです。

多分この映画は見る人によって感想は異なってくるかと思いますが、少なくとも硝子と川井だけは嫌いであってほしいと思います(笑)

この映画は健常者の元いじめられっ子orいじめっ子にとっては描写が細やかで評価できる部分もありますが、障がい者への理解が深まる作品ではないので、その点はしっかりと認識して見てほしいと思います。

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