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【ニッポンのジレンマ元旦SP】「根拠なき不安」について考えた。

毎年恒例「ニッポンのジレンマ元旦SP」の2018年版を見ました。

今回も例によって、エリートたちが上から目線で無難な議題について意味もなく語っていて、すごく面白かったよ。

ニッポンのジレンマ元旦SP2018!!

今回も多くのエリートたちが集まりました。
去年と大きく違うのは、呼ばれたエリートの中に三浦瑠璃がいたこと。そういえば去年はスケジュールでも合わなかったのかな。

毎回思うんだけど、エリートっていうのはどうしてこう、具体性のない事を延々と語ることが好きなんでしょうか?

そんなことよりも少子化とかについて話せばいいのにって思っちゃう。
少子化とか安倍政権とかいろいろ語ることはあるのに、まあそういう事を語るといろいろ支障があるから、若者が語りやすい大きなテーマについて、答えもないのに語りがちなのがこの「ニッポンのジレンマ」であります。

元旦スペシャルは私は去年から見始めただけだけど、去年のほうが面白かったな。

何でゲストを分断したのかな?

今回は7人のメインゲストがいたわけですが、その中の3人はいろんな分野の専門家で経験もあり年もやや上。彼ら3人は向かって左側に座り、他の4人(起業家とか)はより若手で、右側に座る。

そして周りを観客が囲んでいるわけだけど、彼らも自由に議論に参加してもいいという作りになっていました。

番組を作っている人が私より全然頭がいいと思うので、まあこんなこと番組を作るときに議論になっていたと思うんだけど、どうしてキャリアや分野で座る場所が決められたのかが「??」っていう感じでした。

途中で実際に、この2グループ間で「対話」がなされていないという事が指摘されたけど、これはグループの事なの?

そもそもアカデミアである大澤と三浦と安田は顔見知りで仲も良さそうだし、お互いの手の内を知っているから対話ができるのは当たり前で、ここにすごい知識人だけど全然知られていない人が急に入ってきても対話できるの?

途中で三浦が言っていたけど、アカデミアの中国人とその辺の日本人のおばちゃん、どっちが近いかと聞かれて「当然おばちゃん」って言っていたのもそういう事だと思う。

三浦はいちいち喋るときに「我々は~」って言っていますが、そもそもその「我々」というのが誰の事なのか私にはよくわからんかったです。

文脈からして「日本人」なのだろうなあとは思いますが。

大体ニッポンのジレンマはエリートを非エリートを分断する目的の番組のような気もする。
エリートがいくら頭を使って非エリート社会である日本を論じたところで上から目線だから。

それも大澤が指摘したことで、そもそも非エリートがそれではエリートを差別化していないかといえば必ずしていて、やはりエリートと非エリートとの間での「対話」って成り立ちづらいんだろう。

非エリートでも知的好奇心を搭載した我々のような人たちは「エリート」に対して憧れがあるわけです。だからこういう番組は成り立っている。
もし非エリートの中にエリートに興味を持ってたり憧れているひとがいなければこの番組は成り立たないわけです。

ニッポンのジレンマは「エリートが安全地帯から安全な議論を交わして、それをエリートに憧れた非エリートが楽しむ非建設的娯楽番組」という立場にあるので、私としてはとても楽しいです。

(普段の「ニッポンのジレンマ」のほうがもっと切実な問題を扱っている気も)

テーマ①「不安」

というわけで3つのキーワードからこの番組は議論してきました。
この記事では、どんな議論がなされたかではなくて、私NITARIがどんなふうにおもったのかを書き綴っていこうと思います。

まず一つ目のキーワード「不安」。

出演者たちや一般参加の方がいろんな不安を語っていました。
で、私自身が不安に思っていることって何かなあって思ったのです。

しかしまあ、私は将来に対しては、今はあまり不安はない。

不安というのは結局感情であるので、そういう感情を私は今は感じていないだけ。
実際、自分の立場を客観的に考えると非常に問題が山積みであります。

しかし、山積みではあるけど不安という感情はない。
なんでかといえば、何とかしなきゃいけない立場にいるからだと思います。

不安を感じている人は、たぶんもっと具体的にできることやできていることがいろいろとあるのだと思う。

ふつうの人は就職してたりして、その仕事を続ける中で社会とか自分の将来に不安を持ちますよね。
漠然とした不安ていう感情は要するに=退屈っていう感情とも近いのかもなと私は思う。

テーマ②「絶望」

またしても漠然とした言葉ですが、このキーワードで語るべき事もあまりありません。

スタジオの人たちはいろいろと最悪のケースを語っていたけど、その中で最も面白かったのは三浦の言っていたシナリオ。

それに対していまいちピンと来てなかった人が、進行の古市さんも含めて多かったようだけど、逆に私にはそれがよく分からない。

なんで三浦の言っていることが納得できないのかな?
私はわりに起こりそうな出来事として納得できましたけどね。

私の思っている「絶望的な状況」は、これもやっぱり不安と同じであんまりはっきりとは提示できないかな。

しかしまあ一番わかりやすいのは、三浦も言っていたけど核が落とされて日本が壊滅するとか、そういうことなんじゃないでしょうか。

思ったけど、不安とか絶望っていうキーワードでいろいろと語ろうとすると、「私の」不安とか絶望という話になるわけで、結局感情の話。

ただ、「私の思う社会の」不安や絶望っていう風になるともう少し変わるのかな。

社会の不安としては少子高齢化とか、いくらでもあるし、絶望にも繋がりますよね。

しかしあんまり不安もなければ絶望も感じないという私ですが、いつもずっとそうだったわけではありません。

過去には、特に20代のころは常に不安しかなくて絶望していて苦しかったことは間違いがないわけです。
当時の不安や絶望感があまりにも強かった反動で、今はもう不安や絶望感を抑制する術を身に着けた、というだけのような気もします。

テーマ③「希望」

これまであんまり、今不安を感じていないとか絶望を感じないとか言ってましたけど、私は実はより「希望」は感じていません!

これは逆に自分自信の将来の事ではなくて、社会的な面において。
社会に関しては全く希望はなし。今後ますます、すべては悪くなって行くばかりだと思う。

しかしまあ、新年早々そんなこと言うのもあれなので、大澤の言っていたことに似てるかもしれないけど、これだけ今の日本が不安で満ち溢れているという事は、希望という面においては伸びしろしかないわけだから、めっちゃ希望が生産される余地はあるのかもしれませんよね。

まあ、そんなこと実際は全然ないと思うけどね。

結局元も子もない事を言いますが、自分が個人として何とかするしかない世の中になってゆく。

社会保障とかそういう事だけではなくて、思想的なところもそうです。
差別主義国家日本にはあんまり楽しい話題ってないし、私がどうであるかという個人が孤独の中でも楽しく生きてゆくことを、ごく個人的に考えて実践しなければならない局面だと思うわけ。

そのために何をすべきか、それを考えるのに不安や絶望を感じる暇はないというのが私の今の現状。

まとめ

結局ものすごく個人的に、自分が何を出来て何をしたいのか、という話になるわけです。
自分が自分の事しか基本的に考えない、というほうが楽だからです。

でも私は今の社会が変わればいいなあとも思っている。
社会に対して働きかけたいとも思っているけど、まずは自分の心配をすることです。

つまり、偉そうにいろいろ行ったけど、だれもが思っていることと同じです。
自分の身を立てるのが先決、ということ。