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映画「ゲット・アウト」ネタバレ感想&画期的と言われている理由

どうもこんにちは、NITARIです。

ずっと見たかった映画「ゲット・アウト」がAmazonプライムで見れるようになっていたのでやっと見ました!感想です。

映画「ゲット・アウト」のあらすじ

映画「ゲット・アウト」は2017年にジョーダン・ピール監督で制作された映画です。

出演者

  • クリス・ワシントン – ダニエル・カルーヤ
  • 11歳のクリス – ザイランド・アダムス
  • ローズ・アーミテージ – アリソン・ウィリアムズ
  • ミッシー・アーミテージ – キャサリン・キーナー
  • ディーン・アーミテージ – ブラッドリー・ウィットフォード
  • ジェレミー・アーミテージ – ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
  • ロッド・ウィリアムス – リル・レル・ハウリー
  • アンドリュー・ローガン・キング – キース・スタンフィールド
  • ジョージナ – ベティ・ガブリエル
  • ウォルター – マーカス・ヘンダーソン
  • ジム・ハドソン – スティーヴン・ルート

主人公の黒人クリスは、白人のガールフレンドのローズの実家に挨拶に行くことになった。ローズは、両親には恋人が黒人であることを伝えていないというので、クリスは心配している。

ローズの両親はとても感じがいいが、いかにも白人のブルジョワ階級の白人家庭といった様子。
父親は脳神経外科医、母親は精神科医だった。
偏見がないと言いながら、何かと端々に偏見をにじませる。しかしクリスはあまり気にしないようにしていた。

様子がおかしいと感じたのは、使用人の黒人たちと接した時だった。
使用人のジョージナもウォルターも、どこか上の空で、同じ黒人同士のクリスともなれ合う雰囲気もなく、よそよそしかった。

次の日、ローズの家ではパーティーが催されるという。
ローズは嫌がったが、クリスは時に気にする様子もなかった。

その夜、クリスは母親から、強制的に催眠療法をかけられてしまう。

映画「ゲット・アウト」のネタバレ感想と解説

全米で大ヒットした作品で、日本での興行成績は振るわなかったのですが、のちにアカデミー賞などにもノミネートされたので、DVD化されてからのほうが見られた作品ではないかな、と思います。

非常に低予算で作られた作品で、素朴ですがよく練られたプロットです。
どんでん返しが話題の作品なので、ここから先はネタバレしますが、まだ観ていない人はお読みにならないようにお願いします。

映画「ゲット・アウト」のストーリー

この映画の面白いところは、なかなか本題に入っていかないという点です。
なんとなく気持ち悪い家族だし、周りの環境もなかなか気味悪い感じではあるんですが、どうもその違和感の理由が分からない。

特に気持ち悪いのは、黒人の使用人たちですよね。
彼らは最初からなんだか上の空で違和感があります。その違和感にクリス自身も気づくんですけど、理由はしばらくわかりません。

実際は、彼らは家族の神経を移植されていたわけです。

例えばジョージナには祖母の脳神経が移植されています。
クリスとローズたちの家族が外でお茶をしているときに、ジョージナがアイスティーを注ぎますが、クリスのグラスに注ごうとすると失敗してこぼしてしまいますよね。

これはおそらく、ジョージナの中にいる祖母にジョージナ本人の意識が抵抗して起こした事故なのだと思います。

全体的にジョージナが上の空なのは、中に違った人格が入っているからというのはわかりますが、彼女の所作がぎこちないのはもともと使用人ではなかったという事と、おばあちゃんが入っているので何となく所作がババ臭いです。

途中、ジョージナがクリスと話している最中に「ノーノ―」と繰り返しながら笑顔で泣くシーン。
この「ノーノ―」と言っているのはたぶんおばあちゃんが、ジョージナの心の中の本人に言っているのじゃないかなと思います。

同じように、ウォルターにも祖父が入っているので、そういう目で見るとよくできていますよね。中に入っているおじいちゃんが黒人の肉体を手に入れて浮かれている感じと、「同士」のように馴れ馴れしく話しかけてくるクリスを嘲笑している態度が2度目に観るとよくわかります。

映画「ゲット・アウト」脚本の巧みさ

この映画は前半部分がほとんど伏線になっているので、なかなか本題に入っていかずに違和感を持ったまま「何が起こるんだろう?」といった感じで話は進みます。

パーティーのシーンもその最たるもの。
このあたりの脚本の見事さというのは、実はこのシーンを「差別描写のシーン」としても観られるという点です。

クリスと話す白人たちの様子が、何となくおかしい事はおかしいのですが、実際話の筋として違和感があるという事はありません。

それは、このパーティ―のシーンでは、純粋に「無意識に人種差別発言をしてしまう白人と、黒人の会話」として観ることができるからです。
当然、オチを知らない1度目の観客は、このシーンをそのように観るでしょう。

しかし、2度目にオチを知ってみてみると、このシーンが「黒人の肉体を手に入れようと品定めしている白人と、黒人の会話」だという事がよくわかりますよね。

つまり、まったく同じシーンなのに、オチを知っているだけで2通りの楽しみ方ができるという事。
これがこの映画の脚本の、技術的に素晴らしい点です。

映画「ゲット・アウト」はホラーなのか?

私はそもそも映画がどういうジャンルにカテゴライズされるのかを考えることにはあんまり興味がないんですが、この映画の場合は「ホラー」とカテゴライズされていることに対して疑問を持っている人もいるようですね。

そもそも、「ホラー」の概念というのは、つまりは恐怖を描いていればいいんだからこの映画はホラー映画で間違いないと思います。

手法を見てもホラー映画と言う解釈で問題ないですね。

映画「ゲット・アウト」は衝撃的な作品なのか?

この映画は「衝撃作」「画期的」と言われることが多いようですが、このことに関しては非常に疑問でした。どの辺が衝撃的と言われているのか?

脚本が素晴らしく優れていることは前述したとおりだし、非常に面白い作品だと思います。
この映画が画期的だったり今までにないなと思った点としては、「人種差別の問題をホラー映画にまで掘り下げた」という点なのかなと私は思いました。

今までは人種差別などの社会問題は、エンターテインメントと映画のテーマとして扱われてはいなかったので。

しかしながら、映画の手法や構成そのものが画期的かといえば全然そのようには思えません。むしろこれでもかと言ったくらいクラシックなホラー映画ですよね。

逆にめちゃくちゃオーソドックスすぎて久々にみたわ~という感じでした。
こういう映画は好きです。

映画「ゲット・アウト」に描かれる人種問題

観れば誰でもわかりますが、この映画は今もなお根強く残る黒人に対しての人種差別を扱ったエンターテインメント作品です。

しかし、先ほども言ったように手法としては非常にオーソドックスなので、ポリティカル・コレクトネスに敏感でない人にとっては、何が面白いのか分からない作品かもしれません。

ポリティカルコレクトネスとは 
政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと

特に、日本人は黒人差別に疎いので、何が言いたいのか「???」という感じの人もいるようですね。

この映画を理解するには、前提として「アメリカの人種差別問題」を押さえておく必要があるかもしれません。

映画「ゲット・アウト」の疑問点と問題点

と、ここまで話をしてきて、この映画に感じた私の違和感について書いていこうと思います。

その「違和感」というのは、先ほどから言っているように内容や伏線としての違和感ではなく、この映画の結末までを踏まえたうえでの疑問点と言ってもいいかもしれません。

それは、この映画が「人種差別」を中心に描いていないように見えた(一見すると)という点です。

これは別に批判でもなんでもありません。むしろそこが非常に斬新だと思いました。
今までの常識から言ったら、「人種差別」扱った純然たるエンターテインメントってなかったと思うんですよね。

そういった社会問題は非常に重いので、映画としてももっとすごく重いものになっていることが多いんですよ。

しかし、この家がは社会派なテーマではありますが、基本的には完全なエンタメ作品のように私は思えました。

それは、制作者側がこの映画を「人種差別」をネタ(敢えて俗な言い方をしましょう)にしたけど、結局のところエンタメ性のほうを重視したと思ったからです。

私がそう思った一番大きな理由が、あまりにもあからさまに人種問題を真っ向から取り上げすぎている、という点があります。
この映画では最初から最後まで、人種問題に絡んだエレメンツ以外のものはほとんどないといってもいいかもしれません。

人種問題を扱う上で気を付けなければならないことの一つに、「黒人vs白人」の二極構成になってはいけない、というのが私の考えです。

凄く単純に言ったら、「黒人をアゲるために白人をディスる」という描写はそれはそれで偏っているのでNG(ただし、シリアスな描写としては)、という事です。

これは今の映画界では割とよくある考え方だと思うんですよね。
しかしながら、この映画はその点においては実にグレーという印象を受けたんです。

黒人男性クリスの描写の違和感

最も大きな違和感として挙げられるのが、黒人であるクリス自身が「黒人」を同士のように見ているシーンです。ここに少し違和感を覚えました。

クリスはローズの家に来て、黒人の使用人たちに対して慣れ慣れしいし、パーティーに来た黒人に対して「ブラザー」と言って親し気に話しかけます。

これは、逆に言えばクリス自身が黒人という人種に色眼鏡を持っていると考えてもおかしくないと思うんですよ。

そして、私はその演出は、監督が「あえて」そのように描いたのではないかな、と思うんです。

つまり、白人が黒人を差別することと同じように、クリス自身が黒人を「区別(ここでは念のため『差別』という言葉は避けます)」しているという事です。

同じように違和感を持ったシーンは、ラストのクリスの快進撃です。

従来の映画だったら、例えば椅子から脱出したクリスは、家族になんとかかんとか返り討ちをして逃げおおせるとか、結構苦労して家族から逃げるなり反撃するなりすると思うんですよ。

しかし、この映画では、ものの見事に黒人独特の身体性の高さを見せつけますよね
「黒人にかかったら白人は一ひねりだ」とでも言っているかのようです。

ここには非常に違和感を感じました。
これももちろん製作者側があえてそのように演出しているのは間違いないと思います。

映画「ゲット・アウト」の本当のメッセージは?

私は最初この映画を観た時に、この映画はそもそも人種問題をネタにはしているけど、純然たるエンターテインメントとして完成させたのかな、と思ったんですよ。

あまりにも人種問題を前に出し過ぎているのと、クリスの身体性の高さの描写は少し特別な感じに思えてしまったので、「人種差別を扱ったけどただ楽しんで!」というメッセージなのかと。

そしたら斬新で面白いなと思ったんです。
何も「人種問題」をネタにしたからって問題提起しなきゃいけないわけじゃないから(例えば数年前にアカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」は黒人のLGBTを扱っていますが、内容は純愛映画でした。そのように)。

しかしながら、他の資料を見てみたら、監督自身はやはりこの映画の社会問題提起に重きを置いていた、というコメントが見つかったので、少し不思議に思いました。

という事は、この映画は見た目の通り、「黒人差別は辞めてね」と言いたかったのでしょうか?

この映画を観る限りでは監督はなかなか頭の良さそうな人物なので、そんな安直なメッセージなのかな?という事と、じゃあラストの身体能力の高いシーンは、単純に「黒人てすごいでしょ」という表現だったのかな?とか思いますよね。

それって逆に差別的な誇張表現のような気もするしなー。

最後のシーンでパトカーから降りてきたのは友人でしたけど、実はそこで白人の警官が下りてきてクリスが逮捕される、というエンディングを考えていたそうなんですが、そのラストはあまりにも救いがないという事で辞めたそうです。

私もパトカーが来た時はそんなラストになったら、内容としてというよりは作品としてわかりやすすぎて質が低いなと思ったのでそうならなくてよかったなという感想なんですが、「それでは救いがないから」以前の問題だと思うので、ちょっとこの監督の狙いはよくわかりません。

実はめちゃくちゃ単純な人なんですかね。

映画「ゲット・アウト」の違和感の回答

ここまで書いてきて、映画評論家の町山智浩氏がこの「ゲット・アウト」の解説を聞いて色々と納得しました。

簡単に言えば、この映画はもともとコメディアンがコメディーとして作ろうとしていたのが元ネタだそうですね。

町山さんがいろいろと説明していますが、納得しました。

この映画における違和感は、「人種問題を描くには表現がストレートすぎるから、もっと深い意味がある」もしくは「だからこそ逆に人種問題のネタには意味がない」って思ってたんですけど、そうではなくてストレートに観たまんま人種問題を描いているようです。

この映画は普通に見ててもなかなか笑えるシーンが多くて楽しかったんだけど、本来だったらギャグにしたいところもシリアスにしているのが違和感だったんだなあと思いました。

先ほど私は、『「黒人をアゲるために白人をディスる」という描写はそれはそれで偏っているのでNG(ただし、シリアスな描写としては)』と書きましたが、これはコメディだったら別にいいんですよ。

それが「アイロニー」ですから。

だけどこの映画はコメディでもないのに、「黒人をアゲるために白人をディスる」ように見えたので、そんな安直なストーリーあるかなー?と思ったんだけど、これほんとにその観たまんまだったみたいですね・・・

まあそれはそれで作りとしては斬新だったのかもしれません。
この映画がコメディとして作られてたらコテコテすぎて全く受け入れられなかったと思うし。

町山さんはオタクなので、この映画に隠された「暗喩」についていろいろと楽しそうに語っていましたが、私は「オタクにしか分からねえよ!」という元ネタ(ってゆーか内輪ネタ)は映画としては全然必要ないんで、元ネタ分からなくても違和感なく作ってほしかったっすね。

もちろん、人種差別については基本的な理解は、我々日本人にも必要なことだと思います。それは「内輪ネタ」ではありませんよね。

ポリティカル・コレクトネスの押し付け

私自身は人種問題やポリティカル・コレクトネスに対して非常に関心があります。

多様性を受け入れることの重大さなどもよくわかっているのですが、アメリカにおけるスタンドアップ・コメディのようなわかりやすい政治的なギャグは正直好きではないんですよね。

アメリカ人が「ポリコレポリコレ」と大騒ぎしているのもあんまり好きじゃないです。
バカっぽいと思うし、上から目線な感じがするからです。

※そのことに関してはピクサーのアニメズートピアの評価でも書いています

欧米社会が全世界に及ぼした事を想うと、「多様性を受け入れること」すらも周りに押し付けてんじゃねえよと思うんで。

もちろん、私自身は平等と自由を重んじているし、平和主義者です。

まとめ

というわけで、この映画が言いたいメッセージはもういいから、内容だけ楽しめば、と言いたい。

つまりは暗喩が多すぎて違和感がぬぐえない映画でした。
町山さんの解説を聞いて「結構つまらない映画だったんだな」と思っちゃった。残念。

ま、そういうわけで映画としては斬新さはないものの、内容としてはなかなか面白かったのと、主人公クリス役のダニエル・カルーヤがめちゃくちゃかっこよかったのでおすすめはおすすめです。

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