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「ブランカとギター弾き」感想・誕生秘話も面白い映画だった!

どうもこんにちは、NITARIです。

長谷井宏紀監督の「ブランカとギター弾き」を見ましたので感想書きます。

映画「ブランカとギター弾き」のあらすじと概要

「ブランカとギター弾き」は、長谷井宏紀監督の長編作品です。

出演者

  • ブランカ: サイデル・ガブテロ
  • ピーター: ピーター・ミラリ
  • セバスチャン: ジョマル・ビスヨ
  • ラウル: レイモンド・カマチョ

ブランカはフィリピンのスラム街で暮らしている8歳の女の子。
母と二人で暮らしていたが、男を作っていなくなってしまったので、今は街の片隅に小さな段ボールハウスを作って暮らしていた。

ブランカは盗難や物乞いで得たお金をひそかにため込んでいた。
しかしお金に対してがめつい彼女は、ストリートチルドレン仲間の子供たちにひがまれている。

ある日、広場でギターを弾いている盲目の老人ピーターと出会う。
ブランカははじめ、彼を利用してお金を稼ごうと考えたが、接しているうちに仲良くなり一緒にいる時間が増えてきた。

警察に街を追い出されそうになったピーターと共にブランカは街を出ることに。行きたかった街と別の街へたどり着いてしまうが、広場に立って、盗みや物乞いでお金を稼いでいた。

実はブランカには夢があった。
お金を貯めて、「お母さん」を買おうと思っていたのだ。

しばらくたって、ブランカはピーターのギターに合わせて歌を歌う。
それが評判を呼び、お店で歌わないかとオファーが来る。

お店でのパフォーマンスも好評で、オーナーからも「しばらく続けてほしい」と言われていた。

しかしある日、事件は起こった・・・

「ブランカとギター弾き」の感想

短いけれどいい映画でした。

フィリピンが舞台の映画と言うのは見たことがなかったので、今フィリピンがどのような状況なのかが良くわかる作品だと思います(鵜呑みにはできないけど)。

ストリートチルドレンたちの描き方がとにかく秀逸で、魅力的でした。

「ブランカとギター弾き」を読み解くポイント

この映画のポイントは、ブランカが後半で「盗みを辞める」というところにあると思います。

ブランカの持っているお金がキーで、多少映画を知っている人だったら、「彼女のお金はいつか盗られてしまうだろう」という事が分かるのでハラハラしますよね。

で、結局理不尽な事件によって、ブランカはずっと貯めてきたお金を盗られ、住むところも追い出されてしまいます。

この映画を観てきた私たちにとっては、ブランカがこのように虐げられるたびに、胸が苦しくなり、どうにかブランカには幸せになってほしい、と思いますよね。

だからブランカのお金が奪われたときに、その理不尽に怒りや悲しみを覚えるでしょう。私もそうでした。

だけど問題はそこではなくて、実はブランカも同じように誰かからお金を奪って儲けていたというところ。

別に私はだからといって「自業自得なんですよね」といいたいわけではなくて、それこそがこうしたスラムの本質なんではないかと。

そして最も重要な点は、後半ブランカがお金を盗むのをやめるところです。
それから、その事をあまり大々的に描かなかった、その映画的なセンスが素晴らしいと感じました。

同じことが、ブランカを売ろうとしたラウルにも言えるわけです。
ラウルはブランカを売りますけど、あれはただ生きようとしただけで、そこに良し悪しの評価を付ける事は間違ってるんですよ。

「ラウルが嫌な奴だ」で終わっては、この映画の存在価値は無くなります。

「ブランカとギター弾き」のメタファー

途中でブランカは誘拐されそうになり、鶏の小屋に閉じ込められますよね。
そこで、彼女は鶏の足に、「助けて」と書いたお金を括り付けて飛ばそうとします。

このシーンもすごく重要なメタファーで、別のシーンでは「私は飛びたい」というような事を言ったり「鶏は飛べない」というシーンがありますよね。

ブランカは檻の中に閉じ込められた状態で、お金を使って鶏を飛ばそうとする。
それは事実、ブランカのこれまでの人生の縮図のように思えます。

その鶏たちは結局ピーターの元に落ちてきますが、ピーターはその事に気づかない。気付かないけれど、ピーターはセバスチャンと落ち合う事が出来て、ブランカの事を助けることができる。

この鶏の一連のシーンのさりげなさには舌を巻きました。

鶏はブランカの前でドラマチックに飛び立ったりしないし、ピーターはブランカのメッセージに気づいたわけではない。

だけども結局ブランカはピーターによって助けられる。
そこがとっても素晴らしいなと思いました。

「ブランカとギター弾き」の長谷井宏紀監督のユニークなキャリア

以上のように、非常にいい映画だった「ブランカとギター弾き」ですが、この映画は日本人の長谷井宏紀という方が監督をしています。

「なんで日本人がフィリピンで映画を??」と思うと思うんですが、それと同じくらい意外なのが、この映画が「イタリア映画」と表記されること。

「???」という感じですよね。
日本人がフィリピンで撮った映画が「イタリア映画」??という。

映画の事を少しでも知っている方であれば、製作国=(イコール)出資国であることをご存知かと思います。
つまり、この映画も撮影されたのはフィリピンですが、製作&出資したのがイタリアだった、という事です。

では、なんでイタリアから出資を受けたのか?
順を追って話します。

長谷井監督はもともとバックパッカーをしながら世界中を旅していたそうです。
20代の頃にフィリピンのスラム街で見た光景がこの映画の制作のインスピレーションの元だったそうです。

長谷井監督が一番長く滞在していたのがセルビア共和国で、そこで過去の短編作品が映画賞を受賞したそう。その映画賞を主催していたのが、巨匠エミール・クストリッツァ監督だったそうです。

クストリッツァ監督といえば「アンダーグラウンド」が印象的でした。

(しかし全然関係ないけど、私はクストリッツァはなぜかドイツ人だと思い込んでいたよ。なんだお前って感じですね…)

私は昔は全然政治的なことに興味がなかったので、「アンダーグラウンド」は印象的ではあったけど全く響かなかった。

まあそれはそうとして、そういう巨匠中の巨匠クストリッツァに認められた長谷井さんですが、なかなか映画制作はうまくいかなかったそうです。

イタリア人プロデューサーの声かけもあって、ヴェネツィア国際映画祭の出資で映画を作る権利を得るコンペカレッジ・シネマ部門」に応募し、映画制作が始まったそうです。

そういうわけで、日本人がフィリピンを舞台にイタリアの出資で映画を製作する、という事がなされたわけですね。

この話に私は映画と同じくらい(もしくはそれ以上?)感動しました。

私も旅をしたり映画のレビューをブログに書くことで、色々な世界の事を発信してはいるんですけど、どうにも私の心のわだかまっていることがありました。

それは、何か作りたいという事です。
だから、こうやって長谷井監督のように自分の足で世界を見て、その肌感覚を忘れずに映画を製作するという事に強いあこがれを感じます。

なんか今の自分を見直すきっかけのような作品でもあるかもしれません。私にとっては。

まとめ

というわけで私はこの映画にすごく刺激を受けました。
しかしながら、この映画はそういった特別な興味を持っていない人にとっても、一本の映画として非常に美しく素敵な作品です。

大変おすすめの作品でした。