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「それでも夜は明ける」無料動画配信&感想と解説。パッツィーに泣かせられる。

どうもこんにちは、NITARIです。

2013年にアカデミー賞作品賞を獲得した「それでも夜は明ける」のレビューです。

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「それでも夜は明ける」のあらすじ

「それでも夜は明ける」は2013年に公開されたスティーヴ・マックィーン監督の映画です。

出演者

  • ソロモン・ノーサップ / プラット – キウェテル・イジョフォー
  • エドウィン・エップス – マイケル・ファスベンダー
  • ウィリアム・フォード – ベネディクト・カンバーバッチ
  • ジョン・ティビッツ – ポール・ダノ
  • パッツィー – ルピタ・ニョンゴ
  • メアリー・エップス – サラ・ポールソン
  • サミュエル・バス – ブラッド・ピット
  • ハリエット・ショー夫人 – アルフレ・ウッダード

1841年。ヴァイオリニストのソロモン・ノーサップは家族と共に幸せに暮らしていた。
ある時、ソロモンは2人の白人から仕事を依頼される。それは彼らが共興するサーカスにヴァイオリニストとして参加するというもので、その報酬は破格だった。

ソロモンはワシントンに出かけ、仕事の打ち上げで二人から薬を盛られ昏睡状態に。目を覚ますと彼は鎖につながれて牢獄に居た。

彼がいくら名を名乗り自由黒人だと主張するも信じてもらえず、「プラット」という名の逃亡奴隷として南部に送られる。

舟で送られた黒人奴隷たちはきれいに洗われ、奴隷商の仲介によってウィリアム・フォードに買われた。

フォードは人情に厚い紳士だった。奴隷たちに対しても優しく接し、彼らの意見を聞くことも憚らない。奴隷としての待遇も決して悪いものではなかった。

そんな中、ソロモンは荷運びのいかだ作りで職業人としてポテンシャルを発揮し、フォードに気に入られる。

しかしその事が現場監督のジョン・ティビッツの勘に触り、ことあるごとにソロモンに突っかかるようになってしまう。やがてティビッツの横暴に我慢しきれなくなったソロモンは彼に手を上げてしまう。

ティビッツは仲間と共にソロモンを気に吊るそうとするが途中で邪魔が入り失敗。ソロモンは死は免れたものの、数時間にわたって宙づりの状態で放置された。

この事件が大きな問題となり、ソロモンを傍に置いておくことに危険を感じたフォードは金銭面で世話になっているエドウィン・エップスにソロモンを売ることにした。

綿花農園の支配人エップスは奴隷に対し冷酷な思想を持つ人物だった。
彼は1日のうちに収穫した綿花の重さを計り、平均に行かなかったものや前日よりも少なかったものを必ず数名鞭打ちにしていた。

そして綿花収穫が不得手だったソロモンは毎回鞭打ちの刑に処されていた・・・

「それでも夜は明ける」の感想と解説

あらゆる点において優れた素晴らしい映画でしたね。
このような史実を用いた作品の場合は、特に脚色や演出面では細心の注意が必要ですが、非常に洗練された脚本と驚くべきアーティスティックな演出によって、暗黒の歴史を見事に表現していたと思います。

「それでも夜は明ける」の演出のすばらしさ

この映画はとにかく演出力がただ事ではない。それはまず言いたい。
カットの割り方やカメラの構図、音楽や音の使い方まで圧倒的に素晴らしいわけです。

この映画のクオリティの高さは、そのファーストショットからうかがい知ることができます。

オープニングでパッと映し出されるのは、黒人奴隷たちがカメラに向かって無表情で立ち尽くす姿。支配人らしき人物の声が入り、サトウキビの収穫方法を伝授される。その後黒人たちはサトウキビを収穫する。

この単純なシーンだけでも、「ん?これは他とは違う映画かな?」というのはよくわかります。

この映画は全体に渡って、正面から固定カメラで登場人物たちの表情を映し出すという演出がたびたびなされます。

例えば、奴隷船で南部に到着したソロモン達は木材に一列に座っていますが、それも正面からの固定カメラで唐突に映し出しています。

編集や撮影のすばらしさはこの映画の大きな魅力の一つです。
映画全体がかなり淡々とした作りになっていますが、それはひとえに編集が非常に良いと通常よりも長めに間を取って余白を作るのはいい例です。

ソロモン首を吊ったまま放置されるシーンについて

この映画で私が最も衝撃を受けたのは、ソロモンがティビッツに首を吊られたまま放置されるシーン

とにかく、ひたすら長いですよね。

宙吊りにされてしばらくしてから、黒人たちがそろそろと小屋から出てきて何事もなかったかのように子供たちは遊び、大人たちは生活に戻ってゆく。

それからしばらくして奴隷の一人がソロモンに水を与えるが、そのまま放置。
その様子を奴隷たちのみならず、家主たちも皆で遠くから見ているというシーンです。

ひとりの男が吊られて以外に基本的に何の動きもないこのようなシーンで、これほどすべてを語りつくすことができるなんて、正直驚き以外の何物でもありません。

ここでは黒人奴隷たちの無念さや命を弄ぶ理不尽さが描かれながら、それが日常化されている虚無感も描かれ、白人たちの冷酷さがある種滑稽なほどに浮き彫りにされており、さらにこのシークエンスのすべてのショットが視覚的にあまりにも悲しく美しいのです。

黒人奴隷の歴史における「首吊り」

日本人にはあまりなじみのない事かもしれませんが、黒人奴隷の歴史において「首吊り」は非常に象徴的なものであるといえます。

この映画でも一瞬描かれていますが、力の強い黒人をリンチして吊るし殺してしまうといった事件は非常に多かったようです。

ビリー・ホリデイが歌って非常に有名な歌である「奇妙な果実(strange fruit)」は木に吊るされた黒人の死体がまるで「奇妙な果実」に見えるという歌です。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

南部の木には奇妙な果実がなる
葉や根に滴る血
黒い体は南部の風に揺らいでいる
ポプラの木々に吊るされた奇妙な果実

奴隷制度は南北戦争後の1863年に廃止されますが、もちろんその時に黒人が皆すぐに自由になり平等な権利を手に入れたわけではありません。

このシーンで「首吊り」がただの残虐性だけを強調したわけではないという事がお分かりいただけるのではないでしょうか。

「それでも夜は明ける」の映像のすばらしさ

このシーンに代表とされる、この映画全体の映像の美しさはただ事ではありません。私はこの映画の首吊り未遂シーンを、映画史に残る名シーンだと思って疑う事がありませんが、それは何もこのシーンの持つ雄弁さだけが理由という事ではありません。

とにかく視覚的に美しいからです。

このシーンのみならず映画全体が非常に美しいのです。
南部の家と庭の木々の美しさや、時々効果的に入れられるエキストラ・ショットの使い方。何をとってもひたすら的を得ているんですよね。

「的を得ている」という部分が非常に重要なのですが、この映画って全体的には目立って凝った演出が多用されているわけではないんです。

ものすごく平たく言えば、割と映画に詳しい人以外が見れば、比較的普通のいい映画に見えると思うんですよ。

ストーリーも単調だし音楽の使い方もそれほど極端に珍しい感じではない(と思われても不思議ではない。実際はすさまじく計算されているが)。私が上げた首吊り未遂のシーンは非常にインパクトがありますが、それ以外の部分はそれほど目立った演出が一見あまりないんです。

エキストラショットにしても、挿入のタイミングが絶妙なのでそれほど強調しすぎていないんです。

実はこれってものすごいセンスではないかな、と思います。
私は、映像にあまりにこだわりを見せた作品というのは基本的に嫌いです。

映画は総合的に見てその良し悪しが決まるので、映像ばっかり綺麗な映画はバランスが悪いと私は判断して低評価にすることがすごく多いです。

映画にとって映像ってすごく重要だから、たまに音楽のMVのようにすべてのショットを拘って作り込んでしまう映画監督っているんですよね。

例として挙げられるのは、「レ・ミゼラブル」や「リリーのすべて」「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督(「リリーのすべて」は非常に良い作品でしたが)。
その他「シン・レッド・ライン」などのテレンス・マリックなども。

映像にすごくこだわって作ること自体はいいですが、映画を観た後に「映像がすごい!」っていう感想になる映画はあんま好きじゃないです、それだったら別に映画じゃなくてもいいと思うし。

で、「それでも夜は明ける」の話に戻すと、この映画ではそれぞれのカットをしっかり見ていけば非常に洗練されて美しい映像に満ち溢れてはいるのですが、それがあまり表に出すぎていない。

あくまでも黒人奴隷の史実を浮き彫りにするという目的の上で構成されているのがよくわかります。

「それでも夜は明ける」物語の余白

技術的な点ばかりを強調して申し訳ありませんが、もう少しお付き合いください。

もう一つ強調したいのが、首吊り未遂のシーン以外にも描かれる、カットやシーンの長さについてです。

首吊り未遂シーンでも、ダラダラと長くカットをなかなか割らない様子が描かれていますが、この映画には「なんだかダラダラと長い」というシーンが非常に多いですよね。

黒人のじいさんが死んで、彼を弔うために黒人たちが皆で歌うシーンもなんかダラダラと長い。

ブラピ演じるバスに全てを話し、手紙を書くことを約束されたあとに何かを語りたそうなソロモンの表情(クローズアップ・ショット)が写りますが、それもやたらダラダラと長い。

首吊り未遂事件を含めて、このように「なんかダラダラと長い」間を取るシーンが非常に多いんですよね。

これは、全く批判ではなくて絶賛しているのです。

現代の映画においては、とにかく時間が重視されて、「間」をしっかり取る作品は非常に少なくなっています。それと同時に、映画の中で全部を説明しようとする作品も非常に多い。

多くはセリフによって、編集によって、また場合によっては映像(映っているモノや構図)によって映画は常に「説明」されてきました。もちろん説明は時にはとても重要で必要なものではありますが、本来であれば必ずどこかに「余白」を作り、こちらに考える隙を与えるべきだと思うんです。

「それでも夜は明ける」はそれが決定的にうまい。
長い「間」を感じながら我々は様々なことを頭に思い描くことができるからです。

「これどういう事なんだろう……」思う事ほど芸術作品にとってインパクトのあることはないのです。

非常に文学的、といってもいいかもしれません。

現代美術家スティーヴ・マックィーン監督

そのあたりがさすが、現代美術家でもあるスティーヴ・マックィーンだなと思うしかありません。
といっても私はこの人の現代アートをこれまで見たことがありませんでしたが。

マックィーン監督の映像の構図や間の取り方は、はっきり言って並みの監督のそれではないんですよね。

しかし何度も言うように、映画の世界以外で活躍していた人が一度劇映画の世界に入ると、どうしても映像的な美しさばかりを強調したがるようになり、非常にかっこつけすぎの映画になることが多い(特にMVやCMの世界から出てきた人はその傾向が強い)なかで、非常に抑えた演出のできるマックィーン監督は本当にただモノではないインテリなんだろうなーと。

(余談ですが、この間何かの現代アートの展覧会に行ったらマックィーン監督の映像作品が上映されていました。他のアーティストの映像作品と同じく意味不明でしたが 笑)

「それでも夜は明ける」の最重要キャラ・パッツィー

「それでも夜は明ける」で最も重要なキャラクターは、言うまでもなくパッツィーです。

もちろんこの映画は主人公はソロモンだし、ある種ライバル関係といえる存在としてエップスが上げられます。

しかしながらソロモンは所詮自由黒人
もちろん、最終的に開放されるか分からない段階では他の黒人たちと同じように理不尽な扱いを受けますが、最終的にそこから抜け出せる人なわけです。

ソロモンが悪いという話ではありません。
黒人奴隷制度の本質は彼によって描かれているわけではない、という事です。

それはエップスにも上げられます。
エップスもソロモンも、どちらもこの映画においては黒人奴隷制度を説明するためのキャラクターなのです。

黒人奴隷制度そのものを表現しているのは、やはりなんといってもパッツィーです。

仕事ができて美しいがゆえにエップスに見初められ、それが理由で夫人からは虐待を受けています。エップスも彼女の事を気に入っていますが、だからといって大切にする気はなく、ソロモンを使って鞭打ちをするシーンなどは閉口してしまうほどの残虐性です。

「石鹸を貰いに行っただけで逆上され鞭打ちに合う」これが黒人奴隷の実態なのですね。

そしてなんといっても、ソロモンが解放されるときのパッツィーの存在。
この映画にもしパッツィーがいなければ、「自由黒人がなんかの手違いで奴隷になるが、最終的に戻ってめでたし映画」になってしまうところですが、パッツィーの描き方が非常に詳細なため、ソロモンの開放に対しどこかモヤモヤが残りますよね。

パッツィーはどうなってしまったんだろう……

この映画で最も重要なのは、「ソロモンが理不尽で奴隷に間違えられてこき使われた」ことではなく、「奴隷制度そのものが救いようのない絶対悪」という視点なわけですから。

「それでも夜は明ける」の問題点

その話の流れから、この映画の問題(というほど大きな問題はありませんが)を上げていこうと思います。

この映画はあくまでも「ソロモンが理不尽で奴隷になっちゃったけど結果オーライ映画」ではなく、「奴隷制度の残忍性・非人道性」を描いているものなんですよね。

だから、正直言ってその観点から言えばソロモンが救出された部分から後はまぁおまけみたいなもんです。

この映画においてソロモンの、「家族との再会」のシーンは必要だったのでしょうか?
難しい所ではありますが、観客に「ソロモンは北部の自由黒人でよかったよね」っていう感想は絶対に持たせるべきではないので、ここは敢えて描かなくてもよかったかも、という風には思います。

ソロモン家の前に立つ、と言うあたりで終わっちゃってもよかったかもね。

ただ、マックィーン監督はその辺は良くわきまえていて、再開のシーンもまぁまぁ抑えて淡々と描いているので悪くはないかな、と思います。

これってもしかしたらマックィーン監督は最後を描きたくなかったけど、プロデューサー側が再会シーンを描くように要請したのかもしれないよね。

プロデューサー・ブラピの無駄な存在感

そう思ってしまう一つの理由として、プロデューサーのブラッド・ピットの存在が上げられます。

この映画のブラピ…皆さんどう思いました??
私はもう、「美味しいとこ持ってったー!!!」としか(笑)

プロデューサーのブラピがここに登場しているわざとらしい感じ、ラストで「家族の再会を描いてくれ」と言ってきそうな空気を感じました。

言っておくと私は割かしブラピが好きなので、この映画での役割としても「おいおい(笑)」って感じで見れていますが、まぁまぁその辺はガチな分析でもあります。

作品を大きく崩すような問題点でもないと思うので、まあいいのですけど。

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まとめ

とにかく非常に素晴らしい映画だったという他ありませんので、ぜひ見ていただきたいと思います。

いやーそれにしてもキウェテル・イジョフォーはかっこいい。とにかく素敵だしいい役者ですよね。

ルピタ・ニョンゴもマイケル・ファズベンダーも最高でした。