「いい人を辞める」と本当に楽になるのか?人間関係について考えた。

数年前に流行った本に、「『いい人』をやめると楽になる」という本がありました。

私自身はこの本を読んでいないので、本に対する意見や批評を書くことはできません。今回は本の話ではなく、この言葉「『いい人』をやめると楽になる」という、なかなか気になる言葉について話したいと思います。

かくいう私は、もう本当に「いい人」。やばいくらい「いい人」丸出しって感じの人間です。

ここはもう自慢とかではなくて、むしろ逆に自虐的な雰囲気を読み取ってもらえたら幸いです。
とにかくどこにでもいい顔をする。

よく、「八方美人」という言い方がありますがかなりそれに近い。誰にでもいい顔をするので、本当に疲れるし人間関係を築く事そのものが嫌だなと感じています。

そんな私も以前は、「いい人」であることがコンプレックスで、こう少しリラックスして人と接することができたらな、と思っていました。

今でこそ普通に「いい人」になりましたが、以前はとにかく人に嫌われるのが怖かったんですよね。

しかし、30代を過ぎるようになってからは嫌われる事はそれほど怖くなく、単に「いい人」になってしまいました。

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「いい人」でいたいのか「嫌われたくない」のか?

「いい人」でいることが苦しいな、と思っている人は、果たして自分が「いい人」なことが苦しいのか、「人から嫌われたくない」と思っている事が苦しいのか、「評価されたい」「受け入れられたい」と思う事が苦しいのか、どれなのかをはっきりと分析してみるといいかもしれません。

私は昔は「嫌われたくない」という人だったんですね。

それは小さなころからいじめられっ子だったり、ちょっと自分が変わっていて周りとうまくなじめないっていう事があったからかもしれません。

「いい人でいたい」という人の多くは「人から嫌われたくない」という感情を持っている人が多いと思います。

「人から嫌われたくない」と言うのは若干ネガティブな言い回しですが、「人から評価されたい」とか「受け入れられたい」というのもやはり同じで、人に拒絶される恐怖感のようなものを感じます。

自分が「いい人」でいたいと思う理由は、突き詰めたらもしかして「自信のなさ」の表れかもしれません。

「いい人」を辞めるということ

本のタイトルにもあるように「いい人をやめると楽になる」という考え方自体は間違っていないと思うんです。

世の中には「嫌な奴」って結構いて、そいつらはマイペースに周りの事なんか考えなくてもあんまり気にしていないように見えたりもします。

あんまり人から認められたいとか受け入れられたいとか考えず、人になんとおもわれようとマイペースなことはすごく自分を楽にしてくれるようにも思えます。

がしかし、それは半分合ってて半分間違っているように思えます。

周りになんと思われようとも、嫌われようともあんまり気にしないで生きていけたら、まあ確かに少しは楽になるのかもしれません。

空気読めない人とか自己中な奴っていうのは割とそういうとこあるよね。
しかし、じゃあ空気読めない人や自己中な人が皆割と楽しくやってるかといったらそうでもないんですよね。

空気読まずに自分の事ばかりを考えていられる人って、まあそれで楽しいっていう人もいなくもないけど、逆に何か自分にコンプレックスがあったり自信がないから自分以外を「見ない」という人もいると思うんですよ。

それに、いつもイライラして周りにあたっているような人とか、確かに「いい人」でもないし我慢もしていないけど、全然幸せそうじゃないしね。

という事は、「いい人を辞める(自分勝手に生きる)」という事は、世の中の人が「楽に生きてゆく」という要因に必ずしもなるわけではないのだと思います。

人が楽に生きて行ける、という事と、自分が「いい人」であるかどうかは正直あんまり関係ないように思えますね。

「自分に自信が持てる」という余裕が大切

そもそも、どうして人は「人から受け入れられたい」と思うのか。そこだと思うんですよ。

「いい人」の多くは、「人から受け入れられたい」とか「嫌われたくない」という考え方を持っていると書きました。

しかし、実際「嫌われたくない」と考えている人は、どうして自分が「嫌われるかもしれない」と思うかといえば、やっぱりそこは自分に自信がないからなのかな、と思います。

自分に何か確固たるものがあって、自分に自信を持てるようになれば、その時に「人からなんと思われてもいい!」となるような気がします。

私は20代の時に「人から嫌われたくないなあ」とよく考えていました。今もそのような気持ちはもちろんありますが、もっと世の中の事を知るうちに、人間っていうのはそう単純なものではないなと思うようになりました。

人の事を「いい人」であるとか「嫌な人である」という単純な評価のできる人間があんまりいないなという事です。

自分にはすごく嫌な奴でも、誰かにとって心の支えである可能性もあるわけだし、まあ人それぞれなんですよね。

だから、そもそも自分が「いい人」である事を意識することもなければ、別にそれを辞めることもないし、あんまりそこと「生きていくのが楽」という考え方は結び付かないような気がするんです。

それに、そんなに簡単に人間の感情をコントロールできないでしょう。
「いい人でいるしかない」っていって悩んでいる人はめちゃくちゃ可愛いしナイスなので、わざわざ悪い人を演じる必要はありません。

まあ、私はすげー「いい人」ですし、それを保つのが辛いから、一つの仕事を長く続けて人との関係を築き上げるっていう事をしたがらないんですけどね(まあ、それはそれで楽です)。

最も楽に生きていく方法

世の中には「いい人」も「悪い人」もないし、人間の感情もそんな簡単にはコントロールできないのですが、もしも「何かを辞めて楽になれる」としたら、それは「いい人」ではなくて「仕事できる人」だと思う。

それか、「よく気が付く人」かな。「空気読める人」もあり。

多分世の中で最も気楽に生きていける人は、「鈍感な人」だと思うんですよね。
だからもしも「鈍感」になることができたら最強だと私は思います。

仕事でもいますよね、あんまり仕事ができなかったり、すぐ手を抜いたり、休憩長く取ってみたりを平気でやる人。あと、すぐ病欠したり。

そういう人って本当にストレスたまんないと思う。

もちろん、そういう事って「いい人をやめる」のと同じでやっぱり天性のものだったりするので、簡単にコントロールできないことかもしれないんです。

しかしながら、「人から嫌われることを気にしないゾ」といってマイペースを貫くマインドを無理やり身に着けようとするよりは、意外と真似できることだったりします。

つまり、休憩をちょっと長く取っちゃったり、誰も見てないところで手を抜いたり、簡単な仕事をゆっくりやったりとかそういう事です。

バレない程度に色々手を抜く、という事は結構実践しやすい事なんじゃないかな、と思います。

「自信を持って生きろ!」「周りの目を気にするなよ!」という事ってよく言われるけど、実はそんなこと簡単にできるわけない。

真面目で、人から愛されたい、受け入れたいという気持ちは簡単に捨てられないし、そういう事を心がけるのってすごいストレスたまると思うんで、もう少し気楽に手を抜ける範囲を少しづつ広げてゆくのがいいですよね。

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