見よう見ようと思って後回しになっていた、ズートピアを見ましたので感想です。
ピクサーなのかと思ってたけど、ディズニー映画だった。

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多様性を尊重するという重要なメッセージ

この作品は、まあ見ていれば分かることですが人種や宗教や民族、性別や年齢の多様性を尊重するという事をテーマに描かれた作品です。

主人公は動物たちの中では非力なウサギの女の子なんだけど、人一倍正義感にあふれた元気なウサギさん。彼女は警察官になることを夢見ていて、実際にその夢は叶います。

しかしながら、やっとの思いで夢だった「ズートピア」に配属されるも、警察の中では「ウサギなんて!」ってすっかりバカにされた存在なわけ。
それで、交通の取り締まりの係を押し付けられたりしている。

そんな時、動物が失踪するという事件が勃発。ウサギは、ワルのキツネさんを無理やり巻き込んで、名誉にかけて事件解決を急ぐ、という物語。

作品全体が覆いつくすのは、「差別はいけない」「多様性を受け入れる」という超重要なメッセージで、そのメッセージを正確にこちらにアピールするために死に物狂いになっているのがよくわかります。

ポリティカル・コレクトネスをクリアした作品を作るために

このブログでも時々、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉を出してきました。
ポリコレって略そうと思います。

政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・障害者・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す -wikipediaより-

私はこのところポリコレに憑りつかれていて、あらゆる事象に対してポリコレ的にどうなのか?という事を考える癖がつきすぎて、若干生きているのがつらくなっているくらいです。

そんな私でも、もちろん自分自身、思わず人種差別的な事を思ってしまったり、やってしまうことがある、とても難しい問題だと思います(例えば私は接客業ですが、中国系のお客さんにわかりやすいように過剰に丁寧にしてしまったりすることもよくないわけです)。

こんな記事を書きました
【愚痴です】Twitter疲れが酷く、辞めたいとすら思ってしまう。

まあそんな感じですから相当ポリコレ的にピリピリした状態で、このポリコレの権化ともいうべき「ズートピア」を見たというわけです。

ズートピアの描くポリコレはどうだったのか

もう、完璧でしたね。あまりにも完璧。うんざりするほどに、一部の隙も無いほどに。

例えば私がすごく驚いたのは、ウサギちゃんがズートピアに来てたまに両親から電話があるんだけど、そのスマホの表示が「mom&dad」になってるんですよ。

普通あり得ないですよね。
電話がかかってくるのは「mom」か、「dad」に決まってるんです。自然に考えて。

しかしこのアニメでは、「mom&dad」にしている(もしくは逆だったかな?まあいずれにしても)。どちらかの呼び名を表示させてもコレクトしないという判断で、こうしたのだという事は一目瞭然。

当然ですが、ではmomを先にするかdadを先にするかでも会議に会議を重ねている様子が目に浮かびます。

全部がそんな感じで、とにかく偏った意見を言うキャラもたくさんいるんだけど、彼らに対してもきちんとコレクトするようにしっかりと作りこんでいる手腕はさすがとしか。

あまりにも計算されていて、疲れるくらい完璧だった。

最も重要な、記者会見でのウサギさん

記者会見ではウサギさんがうっかり、肉食獣を非難するような発言をしてしまい、その結果社会は大きく分断してしまいます。

私としてはこのシーンがちょっとリアルすぎて、結構見ていてしんどかったですね。

ズートピアは、トランプ大統領が就任する前の話だったかと思うんだけどほとんど時期はかぶっていて、つまり相当タイミング的にはばっちりだったわけです。

正直言って私は主人公のウサギがあんまり好きではなくて、その代わりキツネが好きだったのでショックだったし、実際アニメではいい感じにまとまったけど実際は正直言って絶対にまとまるわけないから、すごい辛い。

あのシーンは素晴らしいシーンだとは思うんだけど、ちょっときつかったですね。

ズートピアの感想は?

実は、正直言って映画全体がそんな感じでした。

今の世の中は分断してしまった状態なのに全然出口が見えない中で、このように正論をたたきつけられることこそが私としては結構きつかった。

私自身、ポリコレにがんじがらめになっているんだけど、正直言ってこの映画の持つ正当性ってなんとなく上から目線な感じで嫌だった。

今の世の中の分断は、人間が起こしたものでそれを正したい、「多様性を認めることが大切」と言いたいのは分かるけど、正直言ってそれは現代においてあまりにも完璧に描きすぎてしまうと嫌味なのだと思う。

無理だからです。完全に多様性を認める社会を作るのは。

欧米人は歴史上、いろんな迫害を他国や多人種にしてきて、その結果豊かになり、産業革命や経済成長が興って、自分たちによって世界最大の戦争を巻き起こし、戦後も変わらずおせっかいをかけて多くの人を殺してきたのに、今になって「多様性を受け入れないことはダメだよ!」とか言い始めるのは正直草。

(もちろん、アジアにおける日本にも同じことが言えます。日本はいつまでたってもポリコレが進みませんが。それは日本が現実的なのではなく、まぎれもないカスだからです)

お前らがやってきたことは一体何なんだよ!と思われても仕方がないわけです。

誤解のないように言うならば、私はもちろん多様性を認めたいと心から思っている。
でも、本当の意味で多様性を認めることって大きな自己反省の後に初めてできることではないか?

ハリウッドのセクハラ問題に絡めて

ハリウッドに対してげんなりしたのは今に始まったことではないけど、最近如実に思うようになったのはトランプ政権発足後のアカデミー賞。
あの時は会場中が反トランプで盛り上がっていて、トランプ叩きで一致団結していた。

私にとってはその「一致団結」もちょっと気持ち悪いもので。

私だったら、たとえ反トランプだったとしても、あの会場にいるのは居心地が悪くていやだなあと思った。

その前後に、ノミニ―が白人オンリーだったり、ラ・ラ・ランドみたいな白人主義っぽい映画が出て来たりして、とうとうワインスタインのセクハラ問題が表向きになった。
これは私にとっては結構ショックというか、やっぱハリウッドはクソじゃんって思って心底嫌な気持ちになっているところ。

さらに今日だけど、あのジョン・ラセターまでもがセクハラを認めて休職したとのこと。

なんかもうそれじゃあ、ハリウッドやディズニーそのものの存在価値が謎だと思う。
特にワインスタインのすぐそばでメガホンを取っていたタランティーノ。

私はタランティーノのことがとにかく好きで、人生変わったっていうくらい影響を受けたのですが、何が好きといって彼が非常にフェミニストだと思っていたから。

そんな彼が、加担していなかったにせよ見て見ぬふりをして撮り切った作品達を、同じ気持ちで今後も観ることができるのだろうか、と思います。

ズートピアまとめ

要するに、ズートピアは確かに完璧な作品かもしれないけど、作っている人間の非をあくまでも描けていない、上っ面で上から目線の作品だという事は間違いないと思う。

もっと謙虚な気持ちで作品を作ることとかってできないの?と思った。

最後になりましたが、役所のナマケモノがの面白さは異常で、あまりにも最高だった。
それだけでもよかったと思います。

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