【そして父になる】感想・是枝裕和は本当はウザい男なのかも。

国内映画人間ドラマ

「三度目の殺人」公開記念として放送された「そして父になる」を録画しておいて、久々に再見した。「三度目の殺人」もすでに観たのだが、今回この映画を見て一つの思いがやや確信に変わりつつある。

スポンサーリンク

是枝裕和監督「そして父になる」

エリート建築家の家族は幸せに暮らしていた。しかしある時、息子のケイタを生んだ産婦人科から連絡があり、ケイタが実は生まれた時に取り違えた別人の子供だという事が発覚する。

実際の自分たちの子供は、小さな電気店を営む3人の子供の長男として暮らしていた。建築家の家族と電気店の家族は交流を重ねながら、子供たちを入れ替える準備を始めた。

主役はあくまでも「父」である良多

福山雅治が演じる良多が、あくまでもこの作品の主人公である。それ以外は飾りといっても過言ではない。この作品は良多が父親として成長するという物語なのだ。

だからそのために物語は全て進んでゆく。良多が成長しさえすればいいので、例えば設定が多少強引だったり、なかなかあり得ないような話だったとしても良多が「父になり」さえすればいいのだから多めに見るべきだ。この作品はそういう作品である。

そして実際、子どもの取り違え劇はなかなか面白い。実際にはほとんどあり得ない(あるのだろうが、現実的ではない)設定ながら、得意のドキュメンタリータッチで説得力を持たせようとしているし、もしこの作品がテンポよくキャッチ―に描かれていたらたぶん完全にB級となるところを、その構成力によって見事に一流の作品のように思わせることに成功している。

観客はこの方法に見事に騙されるだろう。
何しろ、一見すると圧倒的な存在感と子供たちの魅力的な演技だ。うっかり名画だと思ってしまっても仕方がないかもしれない。

しかし、よくよく考えてほしい。
そもそも、「大人の男が父としての自覚を持ち成長してゆく」というテーマを描くのに、子供の取り違えなんていうややこしい設定は果たして必要なのだろうか?

世の中の映画作品すべてが、例えば「これをする必要があったのか?」なんて言ってしまったら、そもそも映画自体の存在価値を疑いかねないので難しい論点ではあるのだが、しかし逆説的に考えて、子供の取り違えというテーマで描くべきは、父としての成長しかないのだろうか?

そのテーマ性の薄さを是枝の演出力が見事にごまかしている、そんな気がする。

ストーリーだけ見ると非常に薄弱

そもそも、仕事人間で封建的な良多という存在は、現代においてあまりにもステレオタイプで観ていてちょっと恥ずかしいし、電気屋の家族の描き方の対称性は非常にわかりやすく、はっきり言ってあざとい。もう、設定からして実はコテコテにB級だし、とにかくありふれているのだ。

もしも「子供取り違え」をモチーフに描くのだったら、それで紡ぎだされるべき結論はたかが意識の低い一人のおっさんの自我の目覚めなんかではなくて(それもまあ脇のテーマとしてはいいと思うのだが)、血縁という考え方だったり、親子、というもののそもそもの考え方であるべきだ。その延長線上に、自覚のなかった男が父になる、という話が結論の一つとして描かれるべきである。

社会性を持たせようと一見している割にあまりにも薄いしありふれているという事だと思う。非常にわかりやすいが無駄が多いし、その割に重要なことを語っていないように思える。

「子供の取り違え」を扱った理由

という事で、「父の成長」を描くのにどうして是枝が「子供の取り違え」を用いたのかがよくわからなかった。しかし実際はおそらく逆だったのだろうと思う。つまり、「子供の取り違え」がテーマとして面白そうだから用い、その結果何を紡ぎだせるか?と考えた時に「父の成長」と結論付けてしまったのだ。

しかしその結論自体は非常に短絡的だったし、視野の狭さがうかがえると思う。

結局は是枝は「子供の取り違え」って面白いな、と思ったのだろう。面白そうなテーマだから扱ってみたかった。そういう理由でテーマ(というか、モチーフですね)を選ぶとロクなことがない。本来、作家というのはそもそもテーマ(何を描きたいか)があった後でモチーフ(どうやって描くか)があるべきだからだ。

かつての「誰も知らない」なんかでも、割とそんな風潮はあった。しかし、その時のほうがずっとモチーフに対して誠意があったように思う。私は「誰も知らない」は好きな映画だし、是枝の演出力も極まって良いと思っている。

「三度目の殺人」と同様に思ったこと

是枝の問題点はまだある。それは、「三度目の殺人」の感想でも書いたのだが、暗喩や狙いが多すぎてかなりあざとい事だ。

※参考記事

「そして父になる」では、もうそもそも電気屋夫婦の「金はないけどめっちゃ愛はあって幸せ」と、良多たちの「金はあるけど四角四面でつまらない」という家族像がうざい。世の中そんなにははっきりしていないからだ。

どっちかってゆーと、金もある上にめちゃくちゃ愛もあって素敵な家族と、金がなくて卑屈で残念で下品な家族の子供の取り違えにして、物凄いコメディとかにしたほうが本質的だったんじゃないか?

仕事人間が家庭に目覚めるっていう映画だったら、別に無理やりな設定なんかしなくても「クレイマー、クレイマー」現実的かつ饒舌に語りつくしてくれているので、「そして父になる」をあんまり見る必要性すらも感じない。

是枝作品は演出がうまくて面白いので、なんかうっかり一流の映画って感じでいろんなことを見落としてしまいがちだが、平たく考えると結構あざといし大したこと言ってないんじゃないか説が、最近の私の中では有力だ。

考えてみると、非常に好きな「誰も知らない」でさえ、親に放置された息子が野球ボールを拾って一人で空に向けて投げる「一人キャッチボール」をするシーンなんかは、めいっぱいのあざとさがあるではないか。

そういえば面白くなさ過ぎてすっかり忘れてたけど「海街diary」なんか、しょうもないあざとさばっかりが前に出た作品っていう感じがしてきた。これは是枝監督はあんまり大したことないってことに決定しそうな勢いだ。

まとめ

 

まあ、とにかくそんな感じで思ったよりあんまりよくはなかった。もう、こうなってくると是枝作品って良いのあったっけとか思ってしまいたくなるくらいだ。
しかし映画の手腕はすごくあるので、観ていて面白いとか飽きない、とかそういう雰囲気だけの話になってしまう。

昔は彼の映画が好きで気に入っていたのだが、ヒットメーカーになってからどうも好かん。まあ、すべてを見たわけではないのだが。

スポンサーリンク