私の大好きなSEKAI NO OWARIのピアニスト・藤崎彩織が書いた「ふたご」を読了しましたので、本気で感想を書きます。

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「藤崎彩織:ふたご」のネタバレ感想

前々からちょこちょこ言っているのだが、私はSEKAI NO OWARIが好きである。

どのくらい好きかというと、もう2年以上毎日毎日飽きもせずずーっと聴き続けてるくらい好き。音楽は聴かないほうではなかったのだが、彼らと出会ってからは基本的にほかに特に必要なくなった、というくらい好きなのである。

しかしそんな私にとって、ピアニストのさおりちゃんが小説を書く、と知った時は、正直全然うれしくないばかりか、まったく一切読む気にならなかった。

だって、ストーリーを見たらほとんど完全にセカオワの創設の話なんだもん。
ここは厳しい事言いますが、音楽に関しては彼らの事を本当に信頼していますが、文学に関しては正直いってかなり私は厳しいので、いくら彩織ちゃんでも内輪ネタで本を一冊出版するようなことがあったらこれはコトだぞ、という気持ちだった。

だから正直買うのすらも抵抗があったわけで。

しかし、立ち読みしてみたら割と面白そうな感じだったので、金欠の中、意を決して購入し、先ほど読了した。

小説は二部構成になっている

第一部は主人公と「月島」との出会いから、バンドを始める直前まで。
第二部は彼らがメンバーを集めてバンドを結成し手から活動の様子。

率直に言って、第一部はなかなかよかった。
二人がどのように関係を築いていったのかという事が書かれているんだけど、それは表向きのことで、ほとんどすべては月島の話だけに徹している。

小説は夏子の一人称で語られているのに、夏子のことは実際はほとんど描かれておらず、ほとんどすべてが月島の事だけしか描かれていない。

これは結構すごい事で、実際普通は一人称で書いちゃうとどうしても自分がどう思ったか、という事をやたらに書きたくなりがちになる。

だけど、彩織ちゃんは自分を投影する「夏子」にはあまり興味がないのか?というくらい、ひたすらに月島を描き、表現しているのである。

しかもそこに、一切の甘さがない。
ほぼ完全に月島の事も夏子の事も筆者から突き放して書いているので、非常に客観的で、何よりも美化されていないわけです。彼らの生活も、考え方も、全然美化されていないし、非常に実際的。

インタビュー記事も読み込んでいる私としては、当然この物語の多くが彩織ちゃんと深瀬の経験したことなんだろうというのは分かるんだけど、しかし彩織ちゃんが余計に感情移入せずに描写するので、正直言って小説に違和感なく、そしてこの月島が非常に魅力的に描かれていた。
経験したことだから当たり前だと思ったら大違いで、自分の経験したことだからこそ、実は客観的に描写するのは難しいと思う。

深瀬が昔から、本当に若いころに大変な思いをした、といっていた部分が全部表現されているようで、まあこれはセカオワファンとしての感想になって恐縮だが、深瀬慧を理解するのに非常に重要な文献といえると思う。

当然だが文学というのは基本的に人を選んではいけないものなので、この小説がセカオワファンでない人が読んでも耐える作品かどうかはわからないが、少なくとも第一部は割と楽しめるのではないかな、と思う次第。

問題は第二部である

しかし、物語が第二部に突入したあたりから急速に物語は失速してしまった。

唐突に出てくるぐちりん。いったい今までどこにいた?
いきなり始まる楽しい青春。と思ったら元気になった月島にいじめられる夏子。苦しむ夏子。しかし仲間と居場所を見つける。と思ったらいきなり「お前らは甘い」といって泣き始める月島。

第一部ではコントロールできていた物語が一気に引っかきまわされて制御不能になってしまったイメージである。キャラが一気に増えたからだろうか?

そもそも、第一部では月島をテーマにしていたのに、第二部ではテーマがバンド活動になってしまったのが悪手だった。
もちろん作者はそれを意図してやっているんだけど、はっきり言って「バンド活動」というのはあまりにもテーマとして薄い。

一応、さおりちゃん、基、夏子がアーティストとして目覚めていく、という事をテーマに据えようとしているのは分かるんだけど、それにしては急に歌詞を書いてそれを月島に最終的にようやく褒められる、というのはなんとも依存したつまらない結論ではないか?

ここにきて急に、内輪感が出てしまったのは非常に残念だ。

そもそも、第一部に比べて第二部では月島の魅力が私にはよくわからなかった。
彼は一体どういうつもりであんなに自分勝手なことを言うのか?どうしてそれをみんな(特に夏子)は聞こうとするのか?

「嵐が丘」のヒースクリフばりの毒舌で人を傷つけておきながら、ヒースクリフのような狙いも怒りも見えない(当たり前だが)、ただのわがまま男に惚れた弱みで付き合ってしまう女にしか見えず、魅力は半減した。

しかも最後にはレコード会社から声がかかって終わりという、なんとも残念としか言いようがない幕引きだった。文学としての理想とかないんだろうか?ちょっとこれはがっかりだ。

最後の最後に、「あっそう、よかったね」という感想ではあまりにも悲しくないか?
彼らの友人であり社会学者の古市憲寿氏がTwitterで「本当によかったね、と言いたくなる作品だった」といっていたが、ほんとそれしか感想がないのは失敗作といえるのではないかな、と思った(古市さんの感想は好意的なものでした)。

彩織ちゃんが、万人にも認められる文学作品を書きたかったのか、自分たちの物語をベースにしたファン向けの作品を書きたかったのか、そのあたりがちょっと後半でぼやけてしまった。

自分の居場所を探すというテーマにしては前半は月島メインすぎるし、ちょっとぼやーんとしてしまった。

「ふたご」おすすめ度

 

やっぱり小説というのは、たとえ二部構成であってももう少し一貫したテーマが必要だったように思う。

個人的には、私は一部構成で、もう少し月島との関係を詳細に描き、どん底に落ちた彼らが奮起してバンドを始めようという場面でぷっつり終わってしまうほうがよかったんじゃないかなと思う。

新たな物語の始まりは、物語の結果よりも文学としてずっと魅力的な結末だと思うからだ。

多分さおりちゃんにとっては、地下室でのバンド活動は非常に苦しいけどとにかく素晴らしい経験だったのだと思う。しかし、その素晴らしさというのは文学に置き換えた場合は各々の読者が想像すべき余白と設定すべきだと思うわけだ。

しかし、やはり第一部は読みごたえがあるし、セカオワファンとしてはぜひ読んでみてほしい作品だった。

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