山田洋二監督作品・吉永小百合&二宮和也主演の「母と暮らせば」を見た。見ながら、自分が戦争や死から目をそらしたいのだという事を思い知らされた。

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【母と暮らせば】のあらすじ

この映画は、戦争や病気で家族を失って一人になった「母」の元へ、原爆で死んだ次男坊の幽霊がやってくる、という物語だ。

母は次男坊と恋仲にあった娘と支えあって生きている。次男坊は母の元へしか現れないが、何かにつけてすぐべそをかいたり、不服そうにするたびにその姿は消えてしまう。だから母は次男坊が現れるたびに、「泣いちゃだめよ」っと諭すのだ。
二人はただただ、生前の思い出話に話を咲かせる。彼はまだ恋仲の娘のことを愛しているし、娘は母のもとに次男坊の亡霊が訪れていることを知らされてはいないが、一生彼のことを思い続けると母には誓っている。

そんな娘を気遣った母は、嫌がる次男坊を説得し、娘に男ができたら心置きなく結婚する事を納得させた。

やがてその言葉通り娘は共に働く戦争帰りの男と結ばれるのだ。

始めはまるで子供のようだった次男坊はやがて立場を逆転させ、だんだん体の弱ってゆく母を気遣うようになる。そしてある夜息を引き取った母と共に、二人は一緒に天に昇ってゆくのだった。

戦争について改めてじっくり考えた

戦争映画を見る機会はそこそこ多いのだが、そのたびにどうしてこんなに辛い出来事が実際に行われたのだろうかと不思議でたまらなくなる。この映画を見ているときにも、あまりにも辛すぎる現実を思うと、どうしても「そもそも人間って」とか、「そもそも戦争とは」とか、「死とは」とか、ちょっと哲学的な方向に考えを持っていこうとする。

そんな自分に気が付いた。

考えてみると私はかなりたくさんの戦争映画を見たり、戦争について調べたり、負の遺産を訪れたりしながら、必ず「人間とは」とか「死」とかのような哲学的なことを考えてきたように思う。

つい昨日だったか、NHKのEテレで放送されている「ニッポンのジレンマ」のテーマが「死」で、その時にも記事にした。

※参考記事

「死ぬこと」についてあなたはどう思ってますか?【ニッポンのジレンマ】

多くのインテリや非インテリがこの命題には取り組んできているのだと思う。私も同じように、「そもそも一体なぜ」という気持ちになることが非常に多いような気がした。

その感情はこの映画を見ているときにも表れた。

「どうして原爆なんか落ちたんだ」とか考え始めると、止まらない。原爆を落としたアメリカを憎むのか?しかし、実際はこの原爆が落とされなければならない状況にまで戦争を引っ張った日本にも当然のことながら責任はあるのだ。落とされなければならなかった爆弾ではない。
しかし、そもそもどうしてこんな戦争が始まったのか?という事を考え始めるとまた際限がない。一体だれが戦争をしたがったのかという事を考えてみる。真珠湾攻撃は日本の奇襲だと思われる向きがあるが、考えなしの日本がアメリカにはめられたと考えてもいいだろう。その場合アメリカが悪いのか日本が悪いのか?

しかしどのようなきっかけで始まった戦争だとしても、せいぜい始まって半年くらいで本当ならば概ね勝負はついていた。政府はダラダラと引き伸ばして、何百万人もの命が失われた。
私が最も戦争で心を痛めたのは、戦場へ送られた兵士の多くが餓死したことだ。上層部はろくに補給ってものをしなかったから、どんどん兵士は餓死する。補給しないでどうしろというのか?といえば、敵から奪えばいいじゃんというのである。

戦争がひどいという事を考え始めると、どうして戦争は起こるのか、どうして人間は戦争を起こしてしまうのか、死とは何か、生とは何か、信仰とは何か、存在とはなにか。そんなことを考えてしまうという流れだ。

しかしそれって、本当は、戦争がひどいものだという、戦争を理解できないという苦しみから逃れるための、いわば現実逃避なのではないかと、この映画をみながら思った。
戦争のつらみは経験したことがないけど、想像することがしんどいので、とりあえずそのしんどい気持ちをもっと高尚なというか、哲学的な命題にすり替えようとしているのではないか?

戦争のことを考えるのがしんどいという逃げ

誰もがそんな気持ちで戦争のことを考えているとは言いにくい。多くの著名人やインテリたちが、「死」や「戦争」というテーマに果敢に挑んでいるのだ。彼らの主張が現実逃避などとは言えないことはよくわかっている。

しかし私自身は単に現実逃避がしたいのかもしれないのだ。そのくらい、戦争で死んだ人たちのことを考えるとだいぶつらい。

人間は、愚かだという結論にしか達しないように思えるのだが、そんなことを言ってもどうしようもないので、とにかくもう少し平和を追求してゆきたいものである。
戦争はいかん。と口を酸っぱくして言っている、ただそれだけを言っているだけでは届かない。

どっちが悪いとか、誰のせいだという事ではなくて、誰もがほんの少し人の「死」を想像するだけで、だいぶ違うと思うんだよなあ。

しかし今の世の中を見ていても、歴史を顧みたとしても、現実はあまりにも厳しい。この先戦争が起こったり何か理不尽なことがあるたびに、「そもそも」と呪文のように唱えてゆくのだと思う。それが私の、死の恐怖からの逃避なのかもしれない。

【母と暮らせば】の映画について

映画の作りの話をしよう。かなり奇妙な映画だった。
シーンはほとんどが母と次男坊の自宅で、ほとんどが二人の会話で成り立っている。

何が奇妙かといえば、意味深なカメラワークも奇妙だったし。言葉の投げ方一つも非常に奇妙で、あとたまに現れる幻想とか夢の描写も奇妙。
奇妙、というか、悪い言い方をすれば非常にB級的だった。

しかしこれは別にそのまま批判しているわけではなくて、どうも狙いがよくわからないんだけど、そのB級って感じが私にはちょっと奇妙で面白いと思った。
泣いたらいなくなってしまう次男坊がまず奇妙だし、SFっぽい描写をそのまま見せてくるB級感が面白い。これはわざとやっている感じがするが、非常に珍しいと思う。
フィルムで撮影しているようだが、昔っぽさを出すためにあえてしているのか?
ちょっと小津っぽいなとかも思ったし。

先日見た「三度目の殺人」は、伏線や暗喩がバレバレすぎてうんざりしたのだが、この映画は奇妙だけど結構面白かったと思う。このくらいわけわからない感じで作ってくれるといいなーと思う。

エンディングについて

それにしても、この映画のエンディングに関しては意表を突かれた。まさか、最終的に母が死んで終わるとは思わなかった。

結果的には、すべての家族とお別れになるのではなくて、息子ともう永遠に一緒にいられるというハッピーエンドとして描かれているのだが、「死んでよかった」感が半端ない。
正直観ていて、「んっ??」と思わざるを得なかった。

あまりにも思い切った気持ちのいい感じでラストが描かれているので、「これでよかったのかもしれない」とうっかり思いそうになってしまうのだが、たぶんこれじゃだめだと思うんだよね……←自信ない

これじゃあ、一人残された家族は自殺するのが一番幸せって言っているようなものではないのだろうか……?(キリスト教は自殺を禁じているので、自然死できてラッキー☆みたいな感じにも見えてしまわないか?)

しかも最後にはたぶん原爆で亡くなった方たちをイメージした大合唱が、どこぞのルネッサンス絵画のように流れるのだが……別の意味で、信仰って何だろうと思った。
私は別にクリスチャンでもないんで、なんかちょっとやばいラストって感じがするんだけどね……

役者について

吉永小百合の映画は実はほとんど見たことがなくて、最近、若いころの「細雪」を見たのだけど映画も全然面白くないし、吉永もポケーとしているだけで全然ダメだった。
しかしこの映画の吉永小百合はいい。とにかくめちゃくちゃかわいい。所作のすべてが美しいのに、あざとい感じがしなかった。

次男坊役の二宮和也も非常に良い。
二宮和也といえば、「硫黄島からの手紙」をはじめとした、傑作と呼ばれる作品にも多く出演するラッキーマンだ。ラッキーとか言っちゃうとあれだけど、正直いって演技力は別に大したことないと思うのだが、大体どの役を見ても結構いいのは、もうこの人の内容というかにじみ出る人間力が説得力を持たせているのだと思う。

ちなみに私は別に嵐のファンという事はないが、昔から二宮和也はすごく好きです。顔も何もかも←きいてない

黒木華は、結果的にはなかなかよかったけど、最初はどうなることかと思った。そもそも私は根本的には黒木華は、あんまり好きじゃない。
好きじゃないんだけど、でもまあ見ているうちに大体よくなってきて、最後には何の違和感もなく見ているという事は、やっぱり結構いいのだと思う。

【母と暮らせば】まとめ

 

戦争についていろいろ考えたのは私の癖ではあるので、だれもがこの作品を見てそのように感じるという事はないと思う。しかし、いろんな人が見たらそれだけいろんな感想がありそうだなあという映画だった。

とにかく二宮と吉永がいいので、ぜひ見てみてほしい。

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