どうもです!NITARIです。
今日は「あきらめる」という事について考えてみたいと思う。

NITARI

皆でじゃんじゃんあきらめよう!!!

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「諦めることは試合終了」なのか?

めちゃくちゃ有名な漫画のセリフに、こんなものがある。

「あきらめたらそこで試合終了だよ」

それを思い出したヤンキー(元バスケ部)「安西先生、バスケがしたいです」

そう、誰もが一度は読んだことがある(と思っていたのだが、最近の若者は読んでない人もいるらしい……一体どういう事だろう)、「スラムダンク」で最も有名な一説である。

私は完全にスラムダンク世代で当時はどっぷりハマっていた。
いや、別に今だってこの漫画が嫌いになったわけではない。

しかし今の社会と照らし合わせてみると、当時のように純粋な気持ちで楽しむことができないのである。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
この言葉がどれだけ実は恐ろしい意味を孕んでいるか。

この言葉によって会社を辞めることができずにうつ病になって自殺してしまう人もいるかもしれないし、全く絵の才能がないのに画家を目指し続けて落ちぶれる人もいるかもしれないし、ストーカーになって逮捕されてしまうこともあるかもしれない。

突き詰めると、「あき終(と略させてもらう)」はほとんど戦時中の大本営の精神に近いかもしれないのだ。あーこわい。

(ちなみに、最終戦で桜木花道が背中に痛みを覚えながらも試合に出場するシーンは涙なしには見れないが、ああいうのがもてはやされちゃう社会って生きづらいよね)

まあそれは言い過ぎかもしれないから少し離れるけど、私はけっこう「あきらめる」ことって大事だと思うのだ。

「あきらめきれなかった」結果の話

私は今日までずーっと、漫画を描いたり小説を書いたりして身を立てようと頑張ってきた。
漫画を描くことも小説を書くことも、正直言ってかなりの消耗戦である。

私は本気で小説家になろうと思ってたし漫画家になろうと思って全力でぶつかっていた。
玉砕するたびに、非常なストレスがかかってきたものだ。

今の世の中は「あき終」にもみられるように、「何か夢に向かって邁進する」という事が異常なほどにもてはやされているフシがある。
最近では「ラ・ラ・ランド」が大ヒットを記録したが、私からすれば世紀の糞映画だった。

世の中は「夢に向かって邁進する誰か」のことが大好きなのだ。

夢を持つこと自体はあんまり楽しくない

しかしここには大きな落とし穴があって、世の中の人は思ったよりも全然「夢を持っていない」のである。ほとんど皆が「現実を生きている」のだ。

皆現実を見ている。夢を追うことは自分にはできない。
だからこそ、「夢を追っている誰か」のことが大好きで、応援することで他人事を自分事にできるように錯覚してしまうのだろう。

スポーツを応援することもそれに似ている。特にアマチュアスポーツの場合。

しかし何度も言うが、「夢を追う事」はそんなに甘くない。
まあ世の中の大体の人が「そんなに甘くない」のを分かっているからこそ、なかなか挑戦せずに、挑戦する人を応援したがるのかもしれない。

しかし、敢えて声を大にしていうならば、世間が「甘くない」と思っている以上に「甘くない」のである。ほとんど地獄みたいなもんなのだ。

これは夢をかなえた人の話ではない。
私のように、今現在かなえていない人が言って初めて説得力があるのだ。全神経を集中させて書いた作品が否定されること、それを続けるという事は、想像をはるかに絶しでキツイ。そのことを世間は全く分かっていない。

むしろ、挫折もなく夢をかなえた人よりも、「何度も挫折しそうになったけど頑張る人」が世間は大好きなんだからどんだけドSなのだろうか。

だからこそ自分すらもそのことを理解できずに、「まだまだ」と頑張ってしまうのだ。
世論が自分の意見になってしまうのだ。夢を追うことが大好きな人は別にぜんぜんいいのだが、本気でかなえよう、現実にしようと思っている人にとっては別なのだ。

言ってみれば世論は世論、所詮は外野である。
スラムダンクはスラムダンク。安西先生は安西先生だし、そもそもスラダンを描いたのは井上雄彦という天才漫画家だ。挫折なんかしたことないに決まっている。

たまには「夢を追うのが楽しい」とか言うトンチンカンもいるかもしれないが、そんなドMのことはどーでもよろしい。
大切なのは、「夢がかなわないことは美学でもなんでもなくマジでキツイ」という事を理解しているかどうかだ。

夢以外でもいろいろ諦めたほうがいい事もある

諦めるのは何も夢だけではない。

そもそも、「才能ないからあきらめたら」といって諦められる程度の夢なんか別に夢でもなんでもないんじゃないかなーって思うのだが、まあそれはいいとしても、世の中にはいろいろやりたいことがあって、いろんなことに手を出している人もいるし、「いつかあれやろう」と思っていることも実は多いのではないか?

例えばアインシュタインやスティーブ・ジョブズは毎日同じ服を着ていたらしいし、デザイナーの佐藤オオキも同じ服を着ているし、イチローは毎日カレーを食べている(今は知らないけど)。
ルーティンワークをすることで自分の分野に対しての集中力をコントロールしているのかもしれないが、それも一つの「あきらめ」であるといってもいいかもしれない。

オシャレやグルメを「あきらめる」ことで本職への集中力を高めているのだ(まあ、イチローはカレーしか食べてなかったわけではないと思うが)。

いろんなことをやっていると、次第に自分できることとできないことが分かってくる。その中でやることを絞るのも重要な戦略だろう。

諦める力を養おう

「諦める力」といえば、為末大さんのこの著書が素晴らしい。

 

読んで字のごとく「あきらめる」という方法論に書かれた名著だ。
特にスポーツ界では「あきらめる」という事に対する評価が圧倒的に低いように思える。

そんな世間に対して「あきらめ」の重要性を説いている。ぜひいろんな方に読んでもらいたい

あと、いろいろ言ったが、まあそれはそれとしてスラムダンクも面白いので読んだほうがいい。

終わりに:どうして「あきらめ」について考えたのか

今回なぜこんな風に考えたかといえば、別に私が小説をあきらめたとかいう話ではなくて(実はまだ全然諦めてません)、自分の英語力の事を考えたのが大きい。

私はもともと割と英語がまあまあ得意だが非常に中途半端で、TOEICに換算すると大体600点前後(そこそこの日常会話)だと思うのだが、どうしても「英語を習得したい」という夢がある。

それでいまだに、留学しようかとか、通信教育やろうかとか考えたり、好きな小説を原語で読んでみようと思ったりしている。

しかし、何をやっても続かないのだ。
そこで考えたのだ。ここで一つ、「英語をあきらめ」てみたらどうだろう?

上達しない、という事は現状で「必要ない」という事に他ならないのではないか?

そう考えた時に、少し気持ちは楽になった。
私は「万年600点女」でもいいから、英語を習得するという憧れを捨てることでこの先やりたい事をより絞って明確にできるのかもしれない、と思ったのだ。

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